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わたしのなまえをしっていますか



 『大工と鬼六』という昔話。大工が鬼の助けを借りて橋をかける。その見返りは
大工の目玉であるという。だが鬼の名前が分かれば、目玉をやらなくてすむ。「そ
れはどういう意味かというと、名前が分かればもう怖くない、対処のしようがある
ということです。(中略)言葉で表せないものは、我々をおびやかし、不安にする
ということです」(朝日新聞十二月十八日)と、河合隼雄が書いていた。これを読
んだとき、名前をつけるということ、名前を見いだすということのもつ大切な、か
たちにならないかたちについて、心がさわいだ。名前とはどういうことなのか、何
なのか…。このことについて、すこし考えてみたいと思った。
 まず、『舌の先まで出かかった名前』(パスカル・キニャール、青土社)の昔話
のかたちを借りた小説を思い出した。「野にも港にも読み書きできる者が誰もいな
かった時代」のノルマンディー地方。村一番の仕立屋を慕う娘が、夜に迷って家に
やってきた領主の力を借りて、結婚する。その見返りとして領主が望んだことは、
「わたしの名前を忘れないこと」だった。一年後に訪ねたとき、その名前「ヘイド
ビック・ド・ヘル」を娘が忘れていたなら、領主についてゆかなければならないと
約束する。それはだが忘れられ、夫となった仕立屋とともに、血のにじむ思いをし
て失った名前を思い出そうとする。約束のその日、すんでのところで、ハデスの地
獄をおもわせる、目に見えない恐怖の代表、一身に夜をまとったようなその名前が、
娘の舌にのぼったとき、「あたりが暗くなった。すべての明りが消えた」、なぜな
ら、「話をする人は誰しも明かりを消すものだ」から、思い出されたことばは明か
りだから。
 ここで二つの話に共通することとして、約束の重要さも、名前と根を近しくして、
取り上げてもよいかもしれない。約束ということならば、『鶴の恩返し』、『雪女』
を思い出してもいいかもしれない。これはいちど口にした言葉は決してひるがえす
ことができない、とりかえしがつかない、ということだ。夜と昼、言葉は、「我々
をおびやかす」未知のものから既知のものに私たちを向けるとき、べつの力を持っ
て、私たちにつきつけてくるのかもしれない。諸刃の剣。夜と昼、あるいはその線
上に私たちを乗せているものが、言葉なのかもしれない。もちろん、マイナスとし
てのみ、夜をとらえることなく、言葉の限界も含んで、その線上に捕らえられてい
る、という意味も含んで。「わたしたちはたえず、連痛管のような言語(ランガー
ジュ)の内側で、到達不能なあちら側に引き寄せられている。だがそこには言語に
よっては到達できない。たえず唇まで出かかっているが、言葉(パロール)には属
していないゆえに、その引力からは逸れていってしまうものこそ、言葉は語りたがっ
ているのだ。」(『舌の先まで出かかった名前』)
 境界という先。「舌」、「言語」、「岬」は、ラテン語では、linguaで、語源を
共にしているという。「岬=言語(リンガ)とは、それを通じて社会が自然に向かっ
て突き出すもののことだ」(『音楽への憎しみ』パスカル・キニャール、青土社)、
それ以上は行くことができない場所、だが言葉なしではそこまでたどりつけない場所。
だから、先の『大工と鬼六』についてのこんな記述も印象に残った。つまり「橋を
かけるというのは、それほど大変なことなんです。考えたらほんとにそうで、人の
心と心にかける、国と国、宗教と宗教にかける、何かと何かの間に橋をかける、
つなげるというのは、難事業なんです。」言葉でゆけない、ということに関してい
えば、それているかもしれない、だが、渡すこと、渡ることはむつかしいのだ、と
いうこと。
 『ネバーエンディング・ストーリー』(ミヒャエル・エンデ、岩波書店)では、
ファンタジーの世界が壊れてしまうと、現実の世界もまた壊れてしまう。これらは
あやうい均衡のうえに、だがぴたりと張りついて存在している。ふたつの世界を渡
るのも言葉であり、またその均衡を壊さないのも、言葉である。壊れないようにす
るには、ファンタジーの世界の女王に、現実の世界で生きる人間が、あたらしい名
前をつけさえすればよいのだから。
 いま、ちょうど読んでいる『無知』(ミラン・クンデラ、集英社)では、本当は
そこだけを取り上げたくないのだが(もっとたくさんのことが密接につながってい
る、周密な世界をつくりあげているので)、ともかく恋人になる寸前のところで別
れ、二〇年ぶりに再会した女が、男と逢瀬を交わす。亡命者である二人は故郷喪失
者である。女は過去を思い出そうとする、喪失というのは、思い出を持たないもの
だからだ。男は特に亡命する前の過去のことを切り捨てて生きてきた。
思い出をもたない者だった。そして当然、男が女のことを全く覚えていない、とい
うことが分かる。彼女は叫ぶ、「あたしの名前を言いなさい!」と。名前を呼ばれ
ることは、女にとって過去のすべてとのささやかでもいい、最後の切り札ともいう、
つながりの謂だった。名前を知らないことは、男にとって、明日同様の未来とのつ
ながりだった。名前をめぐって、今日に亀裂が生まれるのだった。あの岬のように。
 中学生の頃、映画に惹かれ、『ゴッドファーザー』の原作を読んだ。ゴッドファー
ザーは名付け親を意味するのだと、その時にはじめて知った。名付け子たちの失態
をぬぐうゴッドファーザー。名付けたことで二人の間に密接な関係がうまれ、それ
は生涯続いていたのだった。名付け親のそれは約束のような責任だった。血の結束
もまた、名付けることからはじまるのかもしれない。名前をつけたとき、呼んだと
きから関係もまたはじまるから。呼ばれなかった名前とは、関係の死だ。

 わたしのなまえをしっていますか。しらなければつけてください。どうか、どう
か。舌のようにそそりたつ場所で、彼女の声が前後になびいた。





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