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擬態しつづける門の石――詩集『悲歌』(銅林社、2007年4月1日発行)



 篠崎勝己さんから『悲歌』を頂いた。詩を加工された宝石に例えると、それを他のもので置き換えることはできない。だがこんな風にちらめき、こんな光が刺さったと言うことはできる。『悲歌』という詩集が門を伝える息吹として吹いてきたと言うことはできるのだ。ともかく宝玉の一端をここに描写し、『悲歌』の放つ繊細な呼吸を伝えられたらと思う。
 『悲歌』を読む前、途中、読んだ後、ずっと、死と生、悲と喜、聖と俗、そうしたことの接点、境界について考えている。例えば「小屋を建てるとは、きれめなく連続する無限の空間からひとつの区画をきりとり、ある方向づけられた統一体へと形成すること(中略)、カオスを一本の境界線によって劃し、ある囲い込まれた秩序の空間を創造することである。(中略)敷居は、空間的な連続性の廃棄をしめしている。それは移行の象徴であると同時に、その媒介物でもある」。こうした小屋を、そこに接している者を考えている。「〈異人〉とは、共同体が外部にむけて開いた窓であり、扉である。世界の裂けめに置かれた門である。内と外・此岸(こちら)と彼岸(あちら)にわたされた橋、といってもよい。(中略)〈異人〉の神秘性の由来は、秩序と混沌を媒介する両義的存在と信じられていることにある。無定形の混沌は、崩壊もしくは危険の象徴であるばかりでなく、創造もしくは能力の象徴でもある。混沌に内在する正と負の両義性といってもよい」(赤坂憲雄『異人論序説』)。「異人」に詩人を、「裂け目に置かれた門」に詩の言葉を重ねているのだった。両義性を、日々という小屋にそそぎ込むことについて。
 引用が長くなったが、『悲歌』の言葉たちが、特にその門から響いてくるように感じたのだ。あるいはこの本で感じた何かと私を、『悲歌』が橋渡しするようなのだ。宝石が虹のように光を放つ。「水の底の虹に/こみあげる吐き気をこらえて/見つめている 皮膜のように/美しいそれ」(『虹』)。「美しく吊されゆれる死体は美しい」(『祝祭 I』)。そう、虹が美醜の橋渡しをし、死体が美醜を媒介しつつ生と死を橋渡すものとしてあるのだと、輝きを描写出来ると思う。また、「死者としてなら愛は可能である/だから他者は殺しつくさなければいけない」(同)から、連続としての死、不連続としての生、ということを重ね読むことも可能だろう。不連続な生とはバタイユ的な発想だが、「連続する無限の空間からひとつの区画を」造るのが小屋という不連続ならば、不連続を通じて生とも響き合うのだ。崩壊と創造が吹き溜まって。『悲歌』の在るこの門、敷居から、愛が、歌が放たれて。
 連続と不連続が接する、それは夢の場所でもある。「夢をさいなむ私がいる。死に似ているからと答える私がいる」(『祝祭 II』)。「眠りなさいと言われた/他に行く場所はない」(『寓話 II』「眠る」)。「手から果実が落ちる 夢の内側では 物語はまだ続いている(中略) 夢の内側では死ぬものなんかいない」(『海』)。眼を瞑り、見られた夢は、生と死の敷居に位置するのだから。あやうい均衡で、揺らいで。「夢を見ていた 私たちは死んでいて そしてとても幸福そうだったから おだやかに死ねたのだと思っていた 限りなくうすれてゆく夢の中で……けれども死とはそのようなものではないのだから 夢の中の私たちに別れを告げていて……私たちは……死とはそのようなものではないのだから」(『悲歌 II』)。夢は死そのものではない。夢が生そのものでないように。例えばこうした視点から、表題詩となった『悲歌』たちを見つめてみる。連鎖のように、けれども連続できない私たちだから、似て非なるもの、その届かなさにむけられることが悲しい歌なのではなかったかと。
 そして忘却の河が生と死の狭間に流れるように、水も詩行たちを浸している。「うすい笑いを浮かべる死者を 陽の光の中に横たえる 水のような罪に濡れたそれを」(『北』)、「それは水の中から来ると言った/そこにあるべきでなく そこにしかありえないものとして」(『視線』)。忘却の河は、羊水とも通じているだろう。「母のような海 母の死体のような海が 目の中に漂っている」(『寓話 II』「海のような」)。連鎖のように揺らぐ門。
 この水を透かして、小屋の敷居に近接する光を見つめる。あの石たち、死生の接点をとおして描写を。「海は皮膜のようにどこまでも続いているから(中略) 海はどこまでも陽にきらめいて そうして私たちは血膿に濡れた腕を引き抜く」(『海』)。この死と生の狭間にある「私たち」は、皮膜で分断されてもいる。つまり接点とは、分断のことでもあるとも鋭利に差し出してくるのだ。両義性を孕んで。敷居で、門で、「私たち」は「私」になり、さらに分かたれ…。「殺意を持ったことはありますか 自身に そしてその向こうに透けて見えるような死者に」(『祝祭 II』)、「私たち 私の中の無数の他者たち/朽ちる私の体の中にひしめきあうそれら」(『北』)。
 つまり、私たちは私と私の間ですら、不連続なものなのだ、そのことを詩人は見つめるのだと、私は石を描写するだろう。「だれのものでもありながら 私のものになりえない物語を語るたびに うすれてゆく「私」という意識と 呼びあうように そこにはだれもいないはずだから 私に答えるものはないのだから それはどこからやって来たのだろうか/「私」ではないそれは」(『咳』)、「私たちは部屋を見る/そこに 私たちが残してしまうものがないかどうか」(『寓話 I』「眠り」)。部屋と外との間に立ちながら。敷居は言葉との間にも存在する。「言葉を信じてはいけない/言葉にならないものを信じてはいけない」(『愛について II』)。「それは言葉としてではなく ただしるしのようなものとして (中略)/名づけようのないものに触れようとするのだろうか」(『愛について 。』)。この間を見つめること、門に居続け、敷居に居ながら不連続を連続にさらすこと(「そして死ではありえないもの…」(『罪』「ありか」))、そのことが悲歌なのかもしれない。混沌に取り込まれずに、揺らぐ門であること、擬態しつづける門であることは痛ましいから。「ありえぬものに触れるように/つぶやかなければならない たとえば 夢のようにと(中略) ことばと共に/もしかしたらとうに死に絶えた心がよみがえるかもしれないから」(『悲歌 II』)、「(それが生きているそぶりにすぎないことがありうるとしても)」 (『罪』「ありか」)。けれども近づくための歌を歌うことだけが、石の出来うる全てなのだ。そうした姿だからこそ両義性を放つ石は息づいてやまないのだ。「そして/吐き続けるあなたの背後から/立ちあがる虹」(『虹』)。歌だけが流れて行ったとしても。「燃え残る夢のようなものとして」(『愛について 。』)。門がまた似てきた。  


初出:『龍』128号


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篠崎勝己詩集『悲歌』(銅林社、2007年4月1日発行)


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