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夜の息子、死の弟、夢の父、眠り。表裏一体を目覚めていよう。



 両義性に引き裂かれつつ結合したものたち。ギリシャ神話の眠りの神、ヒュノプスは、虚偽の幻が群をなして通る象牙の門、予言と霊感の真実の夢が通る角の門の二つの門の番をする。それは眠りにおいて二つが一つに合わさっている、表裏一体ということだ。ひとつに付けられた別の名前、象牙でできた角の門といっていい。「ギリシア語の「聖なるhagios」という語は、古代には「穢された」という意味をもち、古代ローマでも、「聖なるものsacer」は、穢し穢されることなしには接触することのできない人間やモノを意味した、とされ」、sacerから派生した「供犠sacrificeという言葉には、殺害する・聖別するという二重化された意味が孕まれている」(赤坂憲雄)。hostという語は元々は外人・敵人・客人・主人などを意味し、それ自体引き剥がされつつ結合した言葉だが、派生語のhospitalityは客人歓待、hostilityは敵意を表した。混沌の豊饒。また聖娼という言葉がある。古代シュメールで神殿で処女が、行きずりの旅人と性交渉を持つ、大人になるための儀式のことだが、聖なる娼という象牙と角の一体、それらの両義性こそが、穿たれた小さな穴として光を指し示す、あるいは穴から広がる闇として映るのだった。私たちもまた、世界のように引き裂かれつつ結合している。象牙の幻を退けるだけでは角の夢は見えてこない。「きれいはきたない」(シェイクスピア)、正負、清濁、光陰。門という表裏一体の眠りを目覚めること。

 広瀬大志『ハード・ポップス』(思潮社)は、“ハードなポップス”として、両義性の闇と光を、音を通して縫うようだ。「誰かが誰かを愛している/(中略)/誰かが誰かを憎んでいる」、「誰かが誰かを祝っている/誰かが誰かを呪っている」(「ハード・ポップス」)。それは言葉と言葉でないものの間を縫う音にもなる。「弱々しい幻視は/肉体を転がり落ちていく言葉の要請だ」(「赤と黒の青」)。音の多様性を切り取り、可能性に満ちた矛盾を差し出す。「逝くのか?/そのナイフの放つ熱の黒さが狼煙だから」(「さすらいの口笛」)。軽快に荘厳に、死と生が門を貫く。「「言葉は?」/「死んで生きている胃の中だ」」(「ストリート・オブ・ザ・デッド 3」)。

 藤本真理子『觸れなば』(銅林社)は、「無い目を白い眼帯で蔽っている」、「決して閉じない破れ目が見つめている」(「莎草の一穂」)、例えばそんなふうに負を自乗することで正を見つめる。「触れなば、と/打ち返してくる不在の音に打ち破られる 蛾」(「明のおとない」)、不在の音に触れるという二重の不可能から、可能が門を通り、両義性以上のものたちをこぼしている。「細い、薄い、“シ”編んでゆく/ひかり-いと」(「糸-目」)と、枝(シ)、詩、死を折り込んだオーガンジーが、夢に被さり、「モアレ」(という詩篇がある)を起こし、こぼしたものらを目覚めさせてくれていた。

 川上明日夫『雨師』(思潮社)の「春の文庫」は、「わたしの泪には いまも 右岸と左岸が あって」、その門の内側のような「宙のせせらぎ」に、「世界の行間」が反映し、一冊の書物として角を手渡ししてくる。ヒュノプスは死の弟であり、夢を息子に持つ。「向こう岸」では、「死者の目を 育てている (中略)生まれたときから 育てている」、「眠りは死者の いちばんの健康法」と、流れをゆく死の影が、連綿と生を紡ぎ(父から弟へ息子へ)、「卯の花」や「さくら」の花束(「咲苦楽」と書いてサクラと読ませるのだが、この言葉も両義性に満ちている)を添えて、芳香を放っている。

 岩佐なを「しましまの」(思潮社)は、例えば「夜想図」と詩篇にあるような夜の絵の世界から、「お化け」(「しましまの」)、亀、人参、鮒女、犬、「草木神や地霊」(「なつかしいところ」)、そして猫(猫は通底和音のようにそこかしこに現れる)たちが跋扈しながら、時空をまたぎ、昼の世界を目覚めさせる性にみちた生を揺さぶる。ヒュノプス、眠りの母は夜だから。「ねむれない夢を永遠に見続けているのですよ」(「ねんころりん」)。

 最果タヒ『グッドモーニング』(思潮社)は、yoake mae 1〜5、good morningと柱があり、夜と朝の境界から、少女とそうでないもの(それは母でもあり、胎児以前の生でもあり、死でもあるだろう)の境界から、門のありかを検証する。「支配されていたものに戻ってきて/いまこれを/かき始めている/視界と/言葉をひきはがして」(「0」)。夜の子供、死の兄弟、夢の親、「わたしの名前をよんでいた子供が眠りに落ちた」(「きみを呪う」)。

 野村喜和夫『plan14』(本阿弥書店)は、あとがきにもあるが、題名が「意味論」「音階論」等の「論」→「タナトス考」「世界考」等の「考」→「酒精讃」「生命讃」等の「讃」と進み、最後に「宇宙の闇と生命の輝き」に登り詰め、スパークしていた。言葉の夜を眠る。そうして名前のなさを巡ることで命名に触れ(「命名論」)、(「言葉ってことがらの端のそよぎ/あるいは/理(ことわり)という名の賭場」(「語彙論」)と言葉を増殖させ、「エロス考」で、性と聖の間(門)に、刹那(という永遠)言葉をくぐらせ、かわき、生と死の襞を濡らす圧倒的な目覚めとなるのだった。「はじめに混沌があったらしい/というのは/混沌は光で/できているから」(「宇宙讃」)。夢を起きよう。広がる闇が育む明るい場所にて。  



初出: 「現代詩図鑑」2007.10/11/12

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