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空の色のかたまり


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写真:エドワード・バーン・ジョーンズ《夜明け(羽毛のような雲あるいは湖と空あるいは農園)》(制作年不詳)



 「丸紅コレクション展」で見た、エドワード・バーン・ジョーンズ(一八三三─一八九八年)のパステル画《夜明け(羽毛のような雲あるいは湖と空あるいは農園)》(制作年不詳)。日記には、[下方の農園と湖、地平線の近くの空が、日の出間近の桃色とオレンジの朝焼けで、そのうえの空色の部分に、細長い輪を描く雲が、表題のように、羽毛のように浮かんでいる。それは雁の群れのようでもあり、天使の輪のようでもある。ほかの人がみたら、もっと違うかたちに思うかもしれない(よく、雲にいろいろな形をみたことがなかったか)。ともかくその雲、その空は幻想的に美しかった。日々のなかに幻想はあるのだと思わされた。]と書いた。この空の色が記憶のどこかに落ちていったようだ。あるいは思考のひだのどこかに色は降りていったのだろう。空の色が呼び水となって、少しずつ思い出したり、そのまわりで考えが浮遊していった。あの絵を見たあとで、冬の夕景を見た。日の暮れるのが早い今時分なので、土曜日だったかもしれない。遠い山並みに雲がたなびいている。絵は朝焼けだったが、桃色とオレンジの空、そして地平線近くの農園の木々の感じが絵の山並みに似ていた。バーン・ジョーンズの空だと思いながらも、二度と同じ形になることはないであろう、一回限りの模様だと思った。そのときダンセイニ卿(ロード・ダンセイニ)※の創作神話『ぺガーナの神々』(創土社)を思い出したのだった。ほかの神々よりも劣れるものである「愉悦と吟遊詩人たちの神」のリンパン=タンが言う。「「不変の虚空を飽かずに見あげる人びとが、その大いなる地上で倦み疲れぬよう、われは空に絵をかこう。日びがつづくかぎり、一日に二度絵をかこう。一日が夜明けの庵をたつと同時に、われは空を青にいろどろう、(中略)そして一日が夜のなかに沈む前、人々を悲しませぬために空をふたたび青にいろどろう」(中略)そしてリンパン=タンは、日びがつづく限りかれの絵を、どれも二枚とはないものにしようと約束した」と。わたしはこのことばのかたまりをずっと心のどこかにしまっていた。空を見上げるたび、かたまりはうごめいていた。ラピスラズリのような、ブルートパーズのような空色のかたまり。だが、実は勘違いして覚えていたのだが。黎明の王女、小さな女の子の神が鞠をむこうに投げる。それが太陽で、そうして一日がはじまる。だが女の子はひとりぼっちなのでさびしいと泣く。だからリンパン=タンが慰めるために、空に二度、絵を描いているのだと。今度、改めて読み返して、いま覚えていたほうは、『ダンセイニ幻想小説集』(創土社)のなかの話(「黎明を創る」)で、黎明の王女が泣いているのは、太陽である鞠を日蝕や夜が奪ってしまい、失ってしまったからなのだった。つまり、わたしは二つの話を合体させて覚えていたのだ。ただ、こちらにもリンパン=タンは出てくる(ダンセイニは、『ぺガーナの神々』に収められた以外でも、ぺガーナの神々の神話を書いている)。「神々のうちでも最も卑しい旋律の司リンパン・タン」(リンパン=タンではない)は、「空を這って、樹々に止まり葛に羽根を休めては闇に囁いているこの世のすべての鳥たちの許へと下った。黄金の鞠を知りはせぬかと、一羽ずつ訊ねてまわった」。彼は鞠を何度も探しにいき、その度に見つけ出してくるのだった。あるときは地震の神から、あるときは夜の住処の許から。旋律の司、詩人の神が最も卑しい神というのは興味深い。そして鞠をなくすたびに、他の神々よりも劣ったという彼だけが探しだしてこれるということが。彼は鳥の歌を聴くように、夜を見据え、地震に語りかけることができるのだということが。ちなみに、この物語の最後は、黎明の王女インザナは、死に行く身をもつ人間の女の子だからと、夜の間だけ、黄金の鞠を貸してやる。朝になる寸前に、夢の司ヨハルネト=ライが「その鞠をそっと枕下から抜きと」り、黎明王女に返しにくる。だが、そうした日々もいつかはなくなってしまうだろう…。リンパン・タンも鳥のあいだで訊ねあぐねて…。と終わる。『ぺガーナの神々』のほうは、「リンパン=タンのことば」として、主にかれの紹介(こちらのそのほかの描写もとてもうつくしい。「リンパン=タンは流れから旋律を誘いだし、森からその讃歌を盗んだ。かれにむかって、風は寂寥の土地で声をあげ、海はその挽歌をうたった」)。ともあれ、太陽が黄金の鞠だということ、空が絵画だということ、日々と芸術の関係が密接なことにも、心を留めたのだと思う(いいわけがましくいえば、だから二つの物語を一緒にしてしまったのだ。空にかかわる美しさとして)。バーン・ジョーンズの絵の空は、そうした空色のかたまりに色を響かせ、リンパン=タンの絵の物語を呼び起こしてくれたのだった。
 もうひとつ、つい最近読んだもので、空は思い出させてくれたことがある。いや、思考のかたまりに寄り添っていたかたまりのほうに、空色は降りていったのだというべきだろう。ともかく、日々のなかに幻想はあるのだ、日常に美は混在しているのだと、この頃その可能性について、ぼんやりと考えていた(前回の日記でもそれが色濃くでている)。空のあおさ、花のそよぎ。新聞のなかに、路傍に、会話のなかに。そんな折に丁度、朝日新聞の書評欄で、『限界芸術論』(鶴見俊輔、ちくま学芸文庫)を知り、買って読んだのだった。ここでは芸術とは「美的経験を直接的につくり出す記号」だとまずいっている。そして美的経験とは、「毎日の経験の流れにたいして、句読点をうつようなしかたで働きかけ、単語の流れの中に独立した一個の文章を構成させるもの」、「日常的な世界の外につれてゆき、休息をあたえる」もの、「人間の経験一般の凝集であるとともに、経験一般からの離脱反逆」だと。「クローチェは、美と直観の同一性を強調し、ランガーは、美的経験には幻影がつきものであることを指摘した」。たとえばバーン・ジョーンズの空が幻影的に美しかったことと重なる。そしてこの空は、わたしたちが日々のなかで出会うことがある空とも重なるのだと。そして「町並を見るとか、空を見るとかによって生じる美的経験のほうが、展覧会に行って純粋に芸術作品と呼ばれる絵を見ることで生じる美的経験よりも大きい部分を占める」。こうした美的経験は芸術に限らず、広汎にわたる。これらをふまえて、ここでは芸術を「純粋芸術」(Pure Art)、「大衆芸術」(Popular Art)、そして「限界芸術」(Marginal Art)の三つに分けているのだった。「純粋芸術」は、通常、芸術と呼ばれる狭い範囲のもの、クラシック・バレエ、交響楽、印象派絵画、古典文学、前衛映画で、「大衆芸術」は、専門的芸術家によって創造されるものだが、企業や資本家の介入により、広く伝播されることが特色で、歌謡曲、ポスター大衆小説、テレビドラマなど。そして「両者よりもさらに広大な領域で芸術と生活との境界線にあたる作品」が、「限界芸術」であるという。それは「非専門的芸術家によってつくられ、非専門的享受者によって享受される」「もっとも目立たぬ様式」で、「五千年前のアルタミラの壁画以来、あまり進歩もない」もの。それは美的経験の大部分を占めるものであるかもしれない。日常生活の身ぶり、遊び、町並、箱庭、盆栽、早口言葉、替え歌、鼻歌、漫才、らくがき、手紙、祭…。この論は一九六〇年に書かれたものなので、今日の事情と若干違っている面もある。大衆芸術には紙芝居や錦絵、限界芸術にどどいつ、月並俳句、書道などがあげられているが、そうした区分は今ではあてはまらない。だが、美的経験が日々のなかにあること、つまり日々とつながってあることを考えるうえで、とても示唆に含む考えだった。「芸術とは、主体となる個人あるいは集団にとって、それをとりまく日常的状況をより深く美しいものにむかって変革するという行為である。したがって、状況の内部のあらゆる事実が、新しい仕方でとらえられ価値づけられることをとおして、芸術の素材となる。毎日の出来事をはなす声色が音楽としてとらえられ、日常の身ぶりが演劇としてとらえられる。声とか身ぶりだけでなく、状況のあらゆる要素が、芸術の素材となるのだから」これは、宮沢賢治を限界芸術の作家として、書いている箇所だ。「宮沢賢治のもっともみがきあげられた作品も、日常的生活環境の中に深く根をもっている」。それはわたしたちのいる日々のなかに、美しさは根をもっているのだ、ということでもある。
 あるいは空が美しいと感じることと、アルタミラの壁画を描いた彼らと、わたしたちはどこかで共鳴しあっているのだということがうれしかった。かれらの見た空が、わたしたちの見た空と色を重ねてあること、それが日々に根をもちながら、幻影をつくりあげているのだということが。バーン・ジョーンズのなげた空の色が、ダンセイニや『限界芸術論』を浮き彫りにしつつ、わたしのみた空に色を重ねてきてくれることが。わたしの心のひだで、さまざまな空が響き合ってあることが感じられること、このこともまた、美的経験なのではなかったか…。
 引越しをしたら、駅と家のあいだに野川という川があるので、毎日橋を往復することになった。つまり「一日二度」、どれも同じ水ではないものを見ることになった。水が好きなので、これはうれしい。空をうつしこんだ透明な水を見る。雨のあとの濁った流れをみる。鴨が水尾をひいて泳いでゆく。コサギがいる、白い姿が水に映えている。夜でもまわりがほのあかるいので、うっすらと流れが感じられる。車の通りがまばらな夜は、水の音を聞くこともできる。そして岡島弘子さんの詩集『野川』(思潮社)を、橋を渡るたびに思い出す。この野川は、同じ川(多分、わたしが見ている野川のほんの数キロ上流のあたりに実際の彼女は住んでいる)で、詩集では、栞に「野川と私」として詩人と野川の関係が紹介され、詩のなかでは、「野川」という名前はなく、だが、羊水や血流、忘却の河をもふくみ、もちろん日々のなかでの詩人との関係をもつらぬき、それは流れる。「雨が上がったのかしら/国分寺崖線の緑がぐっと近づく/香りはじめた大気の中/座ったまま/私は浮力を持ちはじめている」(「空気に返事をする私」)。日々のなかに美しさが根をもっていること…。ここではこんな空もあった。「空への路をたずねて」私は葉に渡された「繊い糸」を「綱渡りのようりょうでわたる」。「川面にうつっているのは/女郎グモ/句読点についた八本のながい肢が/空を しっかりとつかんでいる」(「青空ツアー」)。空の色は水の色でもあるのだ。この色たちは、さまざまなわたしの箇所に落ちてくれる。それはわたしが見つめ、感じる日々のなかに、でもあるのだった。

※ダンセイニの本は、現在は河出文庫の「ロード・ダンセイニの幻想短篇集成 全四巻『夢見る人の物語』『世界の涯の物語』『時と神々の物語』『最後の夢の物語』」、『ぺガーナの神々』だとハヤカワ文庫FT(他に『魔法の国の旅人』)が手に入りやすいようだ。


(初出  大字豹 二〇〇八年十二月二十五日より)



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