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雁信9 クレー、形の奏でる音。子どもの脇をすりぬけ、鮮やかな線がそれる


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写真:パウル・クレー《リズミカルな森のラクダ》(一九二〇年)



 お久しぶりです。今日は展覧会のことを書いてみます。あなたに何かが絡んでくれるといいのですが。「20世紀のはじまり ピカソとクレーの生きた時代─ドイツ、ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館所蔵展」(1)のことです。ピカソとクレー…特にピカソが苦手なので行かないつもりだったのですが、彼らの他、私の好きな作家を含め、計二十三作家の作品が来るというのと、クレーを好きだとあなたが以前仰っていたのを思い出したのと…、では私自身はクレーを? 今まではあまりぴんときませんでした。ですが街のあちこちで展覧会のポスターを目にしました。東京展のそれはクレーの《リズミカルな森のラクダ》。サブリミナル効果のようにしょっちゅう眼に触れてくる、その度に私の中の誰かがそこに言葉を付け加えるのです。「赤いラクダ、つぶらな瞳、とがったコブ」。気がつくと展覧会に来ていました。
 他の作品も良かったのですが、クレーの事だけ書きます。クレーは最後の部屋「第4章 カンディンスキーとクレーの展開」に、二七点まとめて展示されていました。
 さてパウル・クレー(Paul Klee、一八七九年十二月十八日─一九四〇年六月二十九日)。ほぼ略歴と重なるので、ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館がクレーコレクションを購入した経緯をBunkmauraのHPから抜粋します。「スイスのベルンに生まれたパウル・クレーは、幼少の頃より音楽と絵画の才能を発揮し、芸術家としての道を歩み始めます。しかし、一九三三年アドルフ・ヒトラー率いるナチスは前衛芸術を徹底的に弾圧し、クレーを含め、芸術家たちは「退廃芸術家」という烙印を押され作品は国外に流出してしまったのです。戦後のドイツにおいて、クレー作品を高額の出費をしてまで取り戻すことはドイツ人が自らの負の歴史に立ち向かい、ナチス政権中に失われてしまった文化を取り戻すという政治的決断でもありました」。他の略歴を見ると、カンディンスキーたちと一九一〇年頃、青騎士を結成、一九一四年のチュニジア旅行で、色彩について感銘を受けたとあります。丁度その頃の作品として、《赤と白の丸屋根》(一九一四年)が展示されています。やや歪な碁盤の目の一つ一つに黄、赤、青などが塗られ、微妙な諧調を生んでいます。中には回教寺院の天蓋のような、簡素化された半円の丸屋根が描かれているものもあります。殆ど抽象なのですが、具象をも兼ね備えている、その具象と抽象の狭間で、色彩が優しいまでにまぶしいのです。
 カタログ(2)によると、この旅行の四月十六日の日記で、「色彩が私をとらえる。それを追いかける必要がないのだ。それが私を永久にとらえたことを私は知っている。それがこの祝福された瞬間の意義なのだ。色彩と私はひとつである。私は画家である…」(瀧口修造訳)と書いています。「それまで線描を得意としていたクレーが秘めていた並外れた色彩感覚を一気に開花させたのである」。以後、その色彩は、彼に文字通りついてやまないようです。具象とも抽象のどちらともいえない、そしてどちらでもある作品を描きつづけたこととともに。  チェニジア旅行の翌年の、《直角になろうとする、茶色の△》(一九一五年)。沢山並んだ長方形。こちらもそれぞれ緑、青、紫、赤、様々な色彩で、その鮮やかさに引きつけられます。中央やや左上に茶色の三角が、まさに直角になろうとしていると、題名につられて見てしまう。そうした視点を持ってしまうと、長方形だと思っていたものが、実は細長い台形で、直角になる途上の三角形に見えてくる。茶色の長方形は三角が直角を獲得した後の喜びのようにも見え、隣りあった茶色の直角は兄たちで、三角の弟を応援しているようだとも思えて…。そう、色彩の鮮やかさのせいか、全体的に何かほのぼのとしているので、こんな連想が働くのでしょう。色彩と形が生きているのだと画面から語りかけてくれるのでした。
 こう書いてくると、彼の絵は考えさせる絵という面を持っていることに気づかされます。見る私たちが感じたことを考えることで、彼の絵と無言の対話をするのです。
 そして、とうとう《リズミカルな森のラクダ》(一九二〇年)。茶褐色の三角のコブ、赤い三角の耳、赤い丸い鼻と目のラクダが、緑、赤、紫、黄色の様々な色の丸と縦線で作られた木々の中を歩いています。そして背景の五線譜のような横線たち。ラクダの足は、胴体と微妙にずれて動きを感じさせます。そして胴体にも丸が描かれ、木の背景に溶け込むようです。丸に縦線は、音符のようであり(と、初代館長シュレーンバッハが言っています)、木でもある。いえ、もっと丸は何かを含んでいるのでしょう、なぜならラクダの眼もまた丸なのですから。これは自分に即して言うと、ひらがなの多様性に似ていると思いました。私の書く詩はこの頃、ひらかなだけのものが多いのですが、それは丁度、この絵の丸が音符であり、木であるように、言葉に多重の意味を持って欲しいからなのです。“すいそう”と書きます。“水槽”“吹奏”“水葬”“吸いそう”“水草”…。前後の流れから、ある程度は制限されますが、例えば“水葬”を“吹奏”で送る、そこを“水草”がたゆたっている、そんなイメージを持たせ、言葉本来の広がりを追求したい…。話がそれてしまいました。どうもクレーは見ることで、こんな風に私を思案させてしまう、妙な画家となりつつあるようです。
 《リズミカルな森のラクタ》に戻ります。ここから確かに音が聞こえてくるようなのです。リズムに乗ってラクダが歩き、木々が音を放っている。そしてラクダの眼もまた音符と等しく丸いので、ラクダ自体が音を放っている。音符と森と目が丸であることによって、五線譜のような背景によって、絵は流れる音の時間すら内包して見えるのです。ラクダが音に興じながら、私たちに誘いかけるようで、その姿はとても愛らしく映るのでした。  クレーは子供の頃からヴァイオリンを習っていて、ベルリンの管弦楽団で、非常勤でヴァイオリンを弾いていたこともあるといいます。「クレーの音楽に対する深い愛情は、絵画作品の中に垣間見え、また、その造形と音楽との関わりもしばしば論じられてきた。(略)「音楽は、ぼくにとって、魔法をかけられた恋人のようなものだ」」(2)。彼はまた、「芸術は見えないものを見えるようにする」(3)と主張していたと言います。これは一時期、アトリエをともにしていたカンディンスキーの「必ずしも具象的である必要のない音楽や建築のような「抽象」芸術と、詩、絵画、彫刻のような「再現」芸術とのあいだの境界をとりはずそうとして、絵画と音楽とを同一次元のものとしてとらえ、理論的に一体化しようとした」(4)態度とも重なるでしょう。
 また少しそれますが、詩脳ライブ(5)での、ヤン・ローレンス氏(6)の言葉を思い出しました。彼は英語の学術論文を前に、「わけがわからないけれど、言葉が形を持っているようにみえる」と言い、英語で自分の詩を朗読する際に、「言葉、わからなくても、音から形がみえてくるでしょ」と言っていました。これは言葉を覚えたての頃の、子どもの頃の感覚を思い出させてくれたものでした。言葉とモノがまだ未分化な状態、言葉と形とモノの混沌から抜け出したばかりの頃。言葉を覚えることは一つまた一つと混沌から抜け出した形を感じることでした。それは懐古ばかりではなく、現在にも言えることです。言葉と形、それはシニフィアンとシニフィエというよりも、言葉の音が指示するものと関係なく持つ形ということに近い。たとえば悲しげなメロディーというとき、それはメロディーが悲しい形として感じられるということ。そんな風に、私たちを取り巻く言葉も、音そのものから形を次々と放ってくれている。ただ効用性の中で、それが見えにくくなっているだけなのです。それは私たちのどこか奥底で、分化すれすれの付近まで潜って、殆ど静かに横たわってしまった。私がそれを思い出す、感じ取れるのは、詩を書いているときだけ…。
 クレーに戻りますね。つまり“音から形が見えてくる”のではなく、クレーの場合、“形から音が見えてくる”のだと言いたかったのです。形と音、音と形、それらが相互に行き来しあい、共に密接な関係にあることを、画面から語りかけてくれた。或いは彼の絵に幼児を感じることも、形と音の発祥に関わることかもしれません。  《ムッシュー・ペルレンシュヴァイン》(一九二五年)は、水彩と部分的に絵の具を吹き付けたもので、タイトルは直訳すると“真珠豚氏”、人物像で、ひし形と正方形の目、一本線の鼻、葉っぱのような髪、そして葉っぱのような口で、全体の薄桃色の色調だけが豚をイメージさせますが、なんとなく道化のように見えます。そしてやはりどこか愛らしい。《再構成》(一九二六年)は、一見すると風景画らしいのですが、右上に長方形と、小さな四角で窓を描いてあり、稚拙な、子どもが描いたようなビル、そのすぐ下にギリシア的な柱、画面下に階段、上部には、丸い円で、おそらく太陽、そしてそのすぐ下に一本横に線が引かれている。地平線か水平線でしょうか。ギリシアと現代。ここには時間の流れが凝縮されてあるようです。そして場所も凝縮してあるのでしょう。或いは夢と現実をつないでいるようにも見えます。そして“再構成”という言葉。それは現実をもういちど自分のなかで組み立てなおすことです。組み立て直すことで、現実と近しくなり、かつ時間と接すること。組み立て直すといえば、ここには《頭と手と足と心がある》(一九三〇年)という絵もあります。中央に小さな赤いハート、つまり心臓。このハートを囲むように、二本線の帽子をかぶった、黒い丸の眼、縦の線の鼻、イコールのかたちをした口をもつ顔、二本線の先についた手と足などが並べられています。ばらばらになった体ではあるけれど、どこか優しい。機械的に見えつつ、それが組み立てられることを待つおもちゃのようでもあるからかもしれません。或いは赤いハートのせいか、全体のピンクの色調のせいか、なにか福笑いをやりかけたようだとも思ってしまう。再構築するにあたって、ばらばらにされた体。けれども心は生きている、つまり体をばらばらにしたのは、彼をもっと観察するためなのかもしれません。福笑いが、感覚を集中させ、顔を作りあげる遊びであるように。
 彼の絵にこんな風になんとなく感じてしまう、子供っぽさというのは、思考の果ての証なのだと思います。潜りに潜る努力の果てにあるもの。形と音がたゆたっている領域の物語。例えば“真珠豚氏”からは、彼の内面の形が音となってこぼれてくるようでしたし、《再構成》からは、街の賑わいが聞こえるようでした。《頭と手と足と心がある》のばらばらの体からは、ガチャガチャとした骨がすれあう音が、ふっと耳を撫でてくる。つまり、画面のそこかしこから音が見え隠れするのでした。
 クレーは一九三四年頃、ナチス・ドイツの台頭、前衛芸術への迫害により職を終われ、生まれ故郷のスイス、ベルンに亡命しています。三五年頃から皮膚硬化症が悪化、三五年から三七年頃まで、制作点数は激減し、その後、死の前年の三九年まで増加。三五年頃から腕が余り動かなくなったためか、線が太くなります。この時期のものが四点出品されていましたが、そのうち二点を。
 《宝物》(一九三七年)は、コの字やクの字、Tの字の太い黒い線でくくられた、ピンクや赤、紫の枠の中に、白いハート、月や星、ひし形、葉っぱの形などの模様がちりばめられるように描かれていて、ここでもそれぞれから音が感じられます。それは宝物たちのカタカタと擦れ合う音です。ですが茶褐色の暗い色彩は、時代かもしれないし、彼自身の生のつぶやきなのかもしれません。そうしたすべてを含んでの《宝物》なのです。  また晩年の《赤いチョッキ》(一九三八年)。薄い茶色の地にやはり太い線。ですがこの線は区切りであるだけでなく、輪郭でもあって、様々な形をそこに見出せるようになっています。小さな鳥、馬、一筆書きのような線なので、上方ではそれは赤いチョッキを着ている人物となります。人の顔もすぐ上でキリンのような線となるので、顔はキリンの腹とも取れるのです。その他、碇、鎌…。これらが散りばめられているのが、なにか暗い色調なのに楽しいようなのです。暗さのなかに明るさがある。そうではないでしょう。言葉に課していた効用を幾分か忘れ、言葉がもっと可能性を含んだものであると、私に囁いてくれたように、ここでは線が線であることから幾分逃れたことで、それはものたちの生き生きとした輪郭でもあったのだと、宣言しているように見えたのです。さらにものたちが、線によって、互いに接しあっているのだと低音(これはやはり茶色の色調のせいかもしれません、色もまた音を持つのです。だからクレーは色彩に魅せられた? 音と色彩の親密さによって?)で響かせあい、形からなる交響曲を作り上げているようでもあったのです。静かな会場で。幼児たちが、音階にならない、そしてまだ言葉ともとれない、鼻歌のようなものを口からつむぐ。その脇で鳴る、例えばオルゴール。  この時期の特徴として、やはり腕のせいなのか、「白い紙に黒い線を引くことにより天使などの形を描いては床に画用紙を落とす事を繰り返していた」ことがあげられるそうです。天使はありませんでしたが、白地に水彩の黒い線の《踊りの場面》(一九三八年)、白地に鉛筆作品の《ベルリンのまぬけ》(一九三九年)と《鋭い言葉》(一九四〇年)他、計四点が出品されていました。
 《踊りの場面》では、中央に線で描かれた少女が、左右非対称な線の腕をあげ、踊りを踊っています。手は骸骨のように五本の線。鼻は胴体や片足と一直線になった線で描かれるばかりで、口がありません。背景にはバーの横の直線と殆ど一緒になってしまった(ある踊り子はスカートと区別がつかない)他の踊り子たちが小さく描きこまれています。中央の少女は、これまでの作品のほのぼのとしたところが薄れています。肩の位置が左右で違いすぎるその腕のアンバランスさのせいか、上げた手の形からは、悲鳴のようなものが聞こえてきてしまうのです。この絵を前にした私の第一印象は、死の舞踏のようだ、でした。楽しさは殆どかき消されてしまっている。ですが、とてつもない生き様が形から音をなしてあふれ出している。或いは「ここで描かれる人物像は、意図的にナチスが推奨している芸術の人物像(古典芸術に見られるような彫塑性を備えた人物像)とは全く対象的に表現されている。ナチス体制に対する批判を含めクレーが皮肉を込めて描いた表現」なのでしょうか。いえ、クレーは線からなる形、音を、貫きたいだけだったのではないでしょうか。それが結果として批判になったとしても。他の三点は最晩年の作品でどれも「子どもが描くようなのびのびとした力強い線が特徴」だといいます。子どもはここにも出てくるのです。《ベルリンのまぬけ》は、タキシードのような服をきて、かつ胸がふくらんでいる、両性具有のような人物が猫背になっています。頭に髪はなく、眼はもはや黒い丸の愛らしさはない。ただの空洞のように、歪な楕円が描かれています。こちらもヒトラーだとする説や、「死を擬人化した表現ではないかという指摘もある」そうです。その両方かもしれません、わかりません、それ以外のものも混じっているのでしょう。丸い円が、木の茂みや、音符であったように。
 《鋭い言葉》は、「子どもが描いたようにも見える」単純な線で描かれた横顔。眼や口、首は二辺のかなり長い線で、刃物のようですらあります。眼はもはや丸ではなくなったのです。鋭利な線たち。どこかが重く、形がきしむような、悲しみですらある音を立てている。子どもがまた出てきましたが、こうした線は、突き詰めたうえでの、研ぎ澄まされた線なのです。そんな風にして、音と形の発祥の接点に潜ることが、どうしたって子どもに近しくなってくるのです。多分。
 クレーは「私はある文章に沿った説明のような絵は描きません。そのために、私が絵の中に見ていないものを、いろいろな人が様々に私の絵のなかに見ることもあるでしょう」と言っています。こうした眼たちにより、絵の線は開かれているのでしょう。私たちは、それを様々に感じていいのです。様々な音色を聞いていい。そこから音がこぼれだす、ということ。
 これは詩にも言えることです。最後にまたそれてゆきます。それることで、線が別の線と接するように。「「言語」は眼に見えず、手にとれず、匂いもなく、重さも延長もない。その意味でまったく独特な「道具」であり「材質」なのだが、絵画が精神の流動する姿そのものをとらえようとする野心をもつことは、絵画そのものもまたこのような性質をもつ「言語」に変わろうとすることを意味するといえる」(4)。言葉と絵画はこんなふうに求め合っている。ここでは単純化についても描かれています。「多様な価値が絵画の中に包摂されてくるにつれ、画面は逆にしばしば単純化してゆく傾向を示す(略)。この単純さは、複雑な内部構造を含む単純さなのであり、それが排除した造形的な細部は、かえって見えない圧力となって画面を緊迫させるはずである」(4)。
 単純な線が、音を奏でながら、様々な線として姿をかえ、或いは接して、潜ること、或いは昇ること。
 そして? つまりクレーは私にとって、不思議な人となったのです。絵に触れて、何かが塊として残った。それを文章にしなければいけないものでした。私が自分と向き合う、或いはクレーを言葉にしようとする、そうすることで、初めてそれは大事な絵たちとなった。おそらくそれまでの私は、彼の絵を一瞥しただけで、真剣に見たことがなかったのでしょう。彼の絵は思索しながら、自分のなかで咀嚼しなければ、音を立てないのだと思います。塊は塊のまま、そこにまだある。共通の球のようでもあります。自分に即して、それることで、自分なりの理解を絵に投げかける、すると絵からまた確かに音が帰ってくる…。こんな画家との触れ合いは初めてでした。
 「ベルンのショースハルデン墓地にあるクレーの墓石には「この世では、ついに私は理解されない。なぜならいまだ生を享けていないものたちのもとに、死者のもとに、私はいるのだから」という言葉が刻まれている」(3)のだそうです。或いは死と生の間…、あなたに今度会ったなら、この言葉の回りで、形に触れ合いたいと思うのです。言葉の回りでそれること。それながら巡り、そうして始まりに近しい形を聞きとること。それではまた。

※雁信=手紙。漢の時代、絹に書いた手紙を、雁の足に結んで送った故事から。雁帛とも。

(1)ドイツ・デュッセルドルフのノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館が改修工事のため休館するので、コレクションを日本で紹介する機会が得たもの。名古屋市美術館(二〇〇八年十月十八日から)を皮切りに、東京渋谷・Bunkamuraザ・ミュージアム、兵庫県立美術館(二〇〇九年五月三十一日まで)を巡回した。

(2)『ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館所蔵 20世紀のはじまり ピカソとクレーの生きた時代』(中日新聞社)。以下、出典の明記のないものは、このカタログより引用。

(3)フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、パウル・クレーの項目(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%BC)

(4)『抽象絵画への招待』(大岡信、岩波新書)

(5)二〇〇九年三月五日、東京・シアター代官山で行われた詩のイベント。岩切正一郎、川口晴美、城戸朱理、藤井貞和、野村喜和夫、ヤン・ローレンス、田中庸介他。

(6)ベルギーの詩人、神経科学者。




(初出 『洪水』4号(洪水企画))



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