20 投稿日:2020/02/19 太陽系に九つ目の惑星? ![]() ![]() 上の資料は、東京新聞2006年8月25日朝刊の記事である。 2006年は、太陽系についての考え方に関して、画期的な年だった。 国際天文学連合(TAU)では、まず、冥王星を惑星として残したまま、セレスやカロンなどの小さな天体を3つ加えて、全部で惑星を12個とする案が出された。 これには、異論が噴出して、廃案となり、結局、冥王星も外されて、現在の8個が確定されたのだった。 TAUはこの時、太陽系の惑星に関して、次のような定義を設けた。 太陽の周りを回り、質量が大きくほぼ球形をしており、軌道付近にほかの天体がない そして、下の資料が、東京新聞2008年2月28日朝刊の記事である。 上の記事から1年半後に、 海王星の外側に、未知の惑星が存在するはずである という研究成果が発表されたのだった。 そして、この時点では、大規模な調査を行えば、10年以内に発見される可能性があると期待されていたのだったが、既に10年以上が過ぎた今、未だに、発見されたという報に接していない。 それにしても、この未知の惑星、地球から120億キロ以上離れ、海王星のはるか外側を、1000年かけて、太陽の周りを回っているはずだという。 1000年に1回しか年を取らないのなら、移り住みたい気がしないでもないが、・・・(-_-;) ![]() |
19 投稿日:2020/02/18 神様・仏様・稲尾様(昔の独り言) 野村さんが先日亡くなったばかりだが、ほぼ同じ年代の稲尾さんが亡くなったのは、10年以上も前のことだった。 野村さんの残した記録も凄いが、稲尾さんの記録は、けた違いに物凄いものだった。 以下は、小生が稲尾さんについて投稿した、昔のブログ記事である。 神様、仏様、稲尾様安らかに |
18 投稿日:2020/02/14 優先席(昔の独り言) 昨日はポカポカ陽気だったが、今日も同じくらい暖かくなりそうだ。 さて、小生の昔の独り言である。 2008年1月に、以下のようなブログを投稿していた。 優先席あれから10数年、小生の身体にもペースメーカが入っているが、それなりに、元気で暮らしている。病人という実感はない。 |
17 投稿日:2020/02/03 高裁が原発の運転禁止 ![]() 右の資料は、東京新聞1月18日朝刊の記事の抜粋である。 広島高裁が、四国電力伊方原発3号機の運転禁止を仮処分決定で命じたものだが、これには強い違和感を感じる。 そもそも、伊方原発の再稼働は、東京電力福島第一原発事故の反省の上に立って、新規制基準を作り、その新規制基準に照らして、原子力規制委員会が適切と判断したものであった筈である。 原子力に関しての国家の最高権威である筈の原子力規制委員会の判断を、広島高裁は不合理だとしたのである。 これは、「原子力規制委員会が国の最高権威ではない」と言っているに等しい。 原子力規制委員会が最高権威であるのか否か、そのメンバーの人選等に問題はないか、などを議論するのなら、分からぬでもないが、科学技術に関しての国の最高権威のメンバーによる委員会の判断内容を覆すことになれば、高裁の決定には、三権分立のあり様が問われるような、極めて大きな問題を内包しているような気がしてならない。 |
16 投稿日:2020/02/01 宝登山の蝋梅 ![]() 1月30日に行った宝登山の蝋梅の様子である。 右の写真の上段は、往路で乗ったロープウエーの「ばんび号」である。 このロープウエーは、小生が往路で乗った「ばんび号」と、復路で乗った「もんきー号」の2台のゴンドラを、釣瓶の原理を利用して運行されている。 ロープウエー山頂駅から出たところから見渡すと、蝋梅はまだまだ蕾の方が多い感じで、ちょっと早すぎたかな、と感じたのだが、山に入り、登ってゆくと、花が増えてきた。 下の写真は、山頂にほど近いところの様子である。 ![]() ![]() 左は上の写真の一部をクローズアップした写真である。 中々の見栄えだった。 |
15 投稿日:2020/01/31 宝登山神社奥宮 ![]() 昨日は好天の中、蝋梅を観賞するべく、埼玉県長瀞町の宝登山に登った。 登ったと言っても、今回は、往路・復路共に、ロープウエーを利用した。 ロープウエー山頂駅から、蝋梅の花を眺めながら、宝登山山頂にたどり着き、山頂近くにある宝登山神社奥宮に立ち寄る。 (右の写真は奥宮、下は説明板) ![]() 上の説明板の写真は、少々読みづらいので、オリジナルの写真を慎重に読んで、下に書き記しておく。 この地は、今から1900年の昔、第12代景行天皇の |
14 投稿日:2020/01/17 探査機はやぶさ2 小惑星“りゅうぐう”へ着陸して、岩石の採取に成功した探査機“はやぶさ2”が、今年中に地球に帰還する見通しである。 探査機本体は、燃料にまだ余裕があるらしく、地球の上空で、岩石試料の入ったカプセルの切り離しが成功すれば、再び別の惑星に向かって長旅を続けることになるらしいのだが、カプセルを無傷のまま地上に持ち帰ることができるのか、これが最大の難関のようだ。 何しろ、このカプセルには、地球の生命の起源を知るための極めて貴重な試料が含まれているのだから。 今年の暮れが近づく頃には、ワクワク、緊張する場面が再現されることだろう。 (東京新聞1月15日夕刊より) ![]() |
13 投稿日:2020/01/06 青梅マラソン(昔の独り言) 2月16日に開催される今年の第54回青梅マラソン大会では、スペシャルスタータに元サッカー女子日本代表(なでしこジャパン)の澤穂希さんが務めることになったようだ。 さて、2006年の青梅マラソンには、高橋尚子さんこと、Qちゃんがやって来て、大変な人気だった。 以下は、その時の様子をブログに投稿したものである。 Qちゃん号砲 |
12 投稿日:2020/01/12 銘木鎌倉の梅 ![]() ウメ輪紋ウイルスに侵されて、吉野梅郷周辺の梅は、2014年に全部伐採されてしまった。 いま吉野梅郷は、梅の再生に向けて、地域を挙げて取り組んでいる最中であるが、どうしても取り戻せないものもある。 この地域にあった、“岩割の梅”や“鎌倉の梅”などの銘木までもが伐採されてしまったことである。 下の写真は、伐採されて今はない“鎌倉の梅”であり、右は傍らに置かれていた説明板をクローズアップしたものである。 ![]() |
11 投稿日:2020/01/09 品目横断的経営安定対策? ![]() (東京新聞2007年4月10日朝刊の記事参照) “品目横断的経営安定対策” 何とも大げさで、分かりにくい言葉だが、時の農林水産省が、“戦後農政の大転換”だとして、2007年にスタートさせた筈の施策だった。 そもそも、農家1戸あたりの農地面積が諸外国に比べてあまりにも小さいことが最大の問題だった筈だが、加えて、農業従事者の高齢化、農地の耕作放棄が進んでいた。 あれから10数年が経過した今、何がどう変わったのだろうか。 “ノー政”と言われないような、効果が現れているのかな? ![]() |
10 投稿日:2019/12/31 中と外、入ると出る(昔の独り言) 小生の昔の独り言である。 2015年の5月に、以下のようなつぶやきをブログに投稿していた。 2015.05.29 20:12 |
09 投稿日:2019/12/28 吉川英治記念館が復活 ![]() 右は、時々配布される“街プレ西多摩板”第206号の記事の抜粋である。 今年3月に閉館したばかりの吉川英治記念館が、来年9月に改めて開館することになったらしい。 公益財団法人吉川英治国民文化振興会が、青梅市に寄贈を申し出て、青梅市がこれを受領したものである。 ここへは、これまで2回か3回しか行っていないが、閉館になってしまうと、ちょっと寂しいなと思っていたところだったので、朗報ではある。 この後は、青梅市の管理で続けられることになるのだと思うが、何かが少し変わるのかな? 何がどう変わるのか、楽しみにしながら、来年の会館を待つことにしよう。 |
08 投稿日:2019/1219 マイバッグ? ![]() 右は2007年1月の記事であり、この頃から、スーパーなどのお店のレジ袋が有料になり始めたのだが、10年以上経っている割には、あまり進んでいないようにも思う。 レジ袋の有料化は、既に実施しているところも多いのだが、まだまだ不十分ではないだろうか。 我々の子供の頃は、ビンや鍋などの容器を持って買い物に行くのが、当たり前のことだった。 もっと思い切って、抜本的に見直してはどうか。 何を見直すべきなのか? 容器の再利用である。 缶ビールや缶ジュース、ペットボトル飲料などは、マイ容器を持ち歩いていれば、買うのは中身だけ済む。 こういう仕組みを構築してゆけば、使い捨て容器は殆どなくなる筈だ。 ごみを減らすには、“リサイクルよりリユース”なのである。 容器のメーカーは猛反対するだろうが、資源節約と地球環境を守るためにも、どんどん、やるべきである。 (参照資料:東京新聞2007年1月15日夕刊) |
07 投稿日:2019/12/14 下山八幡神社 ![]() 吉野梅郷がまだ華やかだった頃は、毎年、2月から3月初めにかけて、梅を見に通っていたものである。 即清寺横の無料駐車場に車を置いて、そこから梅の公園をのんびり歩いて往復するのが定番コースだった。 右の写真は、2006年2月19日にここを歩いた時の、コースの途中にある下山八幡神社を撮ったもので、ここに説明板が置かれているのだが(下の写真)、三間社流造りとか一間社流造り、こけら葺型銅板葺とか瓦棒鉄板葺、一部弁柄漆塗りなど、小生には意味の分からない言葉が並んでいて、これを読んでもさっぱり分からない。 ![]() |
06 投稿日:2019/12/13 昏睡2年・全部覚えていた? ![]() 交通事故にあって2年間も昏睡状態が続いて、医師からも見放されていた男性が目を覚まして、この間に起きたことを全て理解していたという。 信じられないことだが、本当なら、何とも怖い話だ。その男性がもしそのまま死んでいたとしても、誰も不自然に思わない状態が長い間続いていたのだから。 2年間もの間、全て聞こえて分かっていながら、自分の意志を全く誰にも伝えることができなかったなんて、つらすぎる。 あれから10数年経った今、この人、元気でいるのだろうか。 (右は東京新聞2005年10月6日夕刊の記事より) |
05 投稿日:2019/12/09 ホームラン王と最多勝投手のチームが最下位? ![]() 右の記事は、東京スポーツ 2005年10月14日付のものであるが、この年の広島カープは、最多勝の黒田博樹と、ホームラン王の荒井貴浩を擁していながら、チームは最下位だった。 こんなことは、この時点でも、“新記録”だったようだが、その後も、この記録は破られていないのではなかろうか。 実に珍記録というべきだろう。 そう言えば、イチローがかつて所属していたマリナーズも、イチローが日々ヒットを量産する中、最下位だった、というようなことも、随分あったような気がするが、・・ |
04 投稿日:2019/12/08 ここにも明治百年記念 明治百年記念 下の写真は過日(12月5日)、国営武蔵丘陵森林公園を訪れた際に撮ったもである。 ![]() 低地にある公園の中央口から、少し登った丘の上に、“記念の広場”があって、ここの石垣に、写真のような説明板が設置されていた。 この説明板に、右のような内容が書かれていた。 この場所は、これまで何度も見ているのだが、あまり意識しないまま通り過ぎていたようだ。 この公園全体が、明治百年を記念して造られたものであるらしい。 ここにも明治百年記念があった。 明治百年は西暦1968年になるが、この頃、全国各地に記念になるものが造られていたのだろうか。 |
03 投稿日:2019/12/04 雲と霧は同じものなの? まず霧(きり)とは何か。 学問的には、次のようなことらしい。 水蒸気を含んだ大気の温度が何らかの理由で下がり、 露点に達した際に、含まれていた水蒸気が小さな水粒となって、空中に浮かんだ状態であり、 一般に大気中の水蒸気が飽和状態に達したときに発生する。 では雲とは何か。実は、 その実体は霧と同じ であるらしい。 ではどのように使い分けているのか。 大気中に浮かんでいて地面に接していないものが雲で、地面に接しているものが霧である。 という定義があるようだが、必ずしも釈然としない。 例えば、山に雲(または霧)がかかっているとしよう。 地面に接していても、いなくても、遠くから見れば、雲に見えることが多いと思うが、その山に登って実際にその中にいる人にとっては霧である。 また厚い雲の中に飛行機が入り込んだとき、乗客からは霧に見えるはずだ。 ということで、見え方の問題になりそうだが、その見え方が単純に、 その中にいるときは霧で、離れたところから見れば雲 とはならないように思う。 例えば、いわゆる“ガスっている”という状態がある。 自分がその中に入っていれば、問題なく霧でよいが、離れたところからでも“ガスっている”状態を見ることが時々ある。離れていても雲には見えず、霧に見える状態がある。 ![]() 富士山を隠しているものは雲に見えるが、しかし手前のものは、ここで晴れた霧の続きかも知れず、霧と言うべきかも知れない。 結局のところ、単純に見え方だけで定義した方がよいように思うが、その見え方を定義することは難しそうだ。 そもそも実体が同じものなのに、違う言葉を使うところに無理があるのかも知れない。 ![]() 上空は晴れていて、富士山がよく見えていたのに、右下の甲府盆地には濃い霧がかかっていた。写真では雲に見えないこともないが、甲府盆地の町並みがうっすら見えていて、全体としての見た目は霧という印象だった。 この時、甲府盆地の地面からどのように見えたのだろうか。地面もガスっていたのか、あるいは雲に見えたのか... |
02 投稿日:2019/12/01 現役の蒸気機関車C58(シゴハチ) 小生が子供の頃には、蒸気機関車が当たり前に走っていた。 (とは言っても、ど田舎だったから、蒸気機関車だって、滅多に見なかったのだが、・・・) 電車などというものは、東京のような大都市に出向かなければ、見ることもなかった。 それが何時頃からだろうか、蒸気機関車を見ることが、全くなくなってしまった。 いまや、蒸気機関車は、青梅鉄道公園のような施設で、“展示物”を見るだけになっている。 そんな中、辛うじて生き残っている蒸気機関車があった。 下の資料は、2005年の新聞記事(東京新聞6月20日夕刊)であるが、この時から10数年経った今でも、まだ頑張って走っているらしい。 秩父鉄道が、土曜日と日曜日に1往復だけ運行しているようで、何度か見かけてはいるのだが、まだ一度も乗ったことがない。 消えないうちに、1度だけでも、乗っておきたいと思っているのだが、・・・ ![]() ![]() |
01 投稿日:2019/11/28 2006年の新庄劇場(昔の独り言) 2006年に現役を引退した後、しばらく鳴りを潜めていた元日本ハム選手の新庄が、またまた、お騒がせマンになったかな? (関連記事:元日ハムの新庄が現役復帰?) さて、新庄の現役最後の年になった、2006年のプロ野球界は、極端に言えば、 新庄劇場で始まって、新庄劇場で終わった ような1年だった、と言えるかもしれない。 この年の新庄について、小生が投稿したブログ記事を、まとめて取り上げておくことにしよう。 新庄今季限りで引退 |