独り言

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20 投稿日:2020/02/19
太陽系に九つ目の惑星?


上の資料は、東京新聞2006年8月25日朝刊の記事である。

2006年は、太陽系についての考え方に関して、画期的な年だった。
国際天文学連合(TAU)では、まず、冥王星を惑星として残したまま、セレスやカロンなどの小さな天体を3つ加えて、全部で惑星を12個とする案が出された。
これには、異論が噴出して、廃案となり、結局、冥王星も外されて、現在の8個が確定されたのだった。
TAUはこの時、太陽系の惑星に関して、次のような定義を設けた。

 太陽の周りを回り、質量が大きくほぼ球形をしており、軌道付近にほかの天体がない

そして、下の資料が、東京新聞2008年2月28日朝刊の記事である。

上の記事から1年半後に、
 海王星の外側に、未知の惑星が存在するはずである
という研究成果が発表されたのだった。

そして、この時点では、大規模な調査を行えば、10年以内に発見される可能性があると期待されていたのだったが、既に10年以上が過ぎた今、未だに、発見されたという報に接していない。

それにしても、この未知の惑星、地球から120億キロ以上離れ、海王星のはるか外側を、1000年かけて、太陽の周りを回っているはずだという。
1000年に1回しか年を取らないのなら、移り住みたい気がしないでもないが、・・・(-_-;)

19 投稿日:2020/02/18
神様・仏様・稲尾様(昔の独り言)

野村さんが先日亡くなったばかりだが、ほぼ同じ年代の稲尾さんが亡くなったのは、10年以上も前のことだった。
野村さんの残した記録も凄いが、稲尾さんの記録は、けた違いに物凄いものだった。

以下は、小生が稲尾さんについて投稿した、昔のブログ記事である。
神様、仏様、稲尾様安らかに
DATE: 11/13/2007 05:19:12 PM

元西鉄ライオンズの鉄腕・稲尾が昨日、悪性腫瘍のため、死去した。享年70才。

現役時代の稲尾は、まさに伝説の連続だった。
選手としては14年間勤めたが、稲尾の記録は何といっても、前半の8年間に集約される。

56年のルーキーイヤーで、いきなり21勝、防御率1.06で、新人王。
2年目は14連勝と20連勝を記録するなど、35勝をあげた(59年まで3年連続30勝以上)。
この年の20連勝は、未だに破られていない、不滅の日本記録である。

更に61年に、シーズン42勝をあげ、この記録もスタルヒンと並んで、未だに破られていない。

生涯の勝利数276も凄い記録だが、このうち前半の8年間に234勝もあげていることが特筆される。
この8年間の年間平均勝利数は、実に29勝以上である。

これだけでも、何とも凄まじい記録だが、まだ忘れてはならない、とんでもない記録がある。
58年の日本シリーズでのことだった。
西鉄は、巨人に3連敗(稲尾は第1・3戦に先発)しながら、その後を、稲尾の4連投で4連勝して、奇跡の逆転日本一を果たしたことである。

まさしく伝説の人、鉄腕・稲尾であり、「神様、仏様、稲尾様」だった。
18 投稿日:2020/02/14
優先席(昔の独り言)

昨日はポカポカ陽気だったが、今日も同じくらい暖かくなりそうだ。

さて、小生の昔の独り言である。
2008年1月に、以下のようなブログを投稿していた。
優先席
DATE: 01/09/2008 01:33:54 PM

今朝の通勤電車内での出来事である。
いつもの電車に乗って、空いた席を探す。乗った車両の最後部の優先席が一つ開いていたので、そこに座る。
向かいの3つある優先席には、高校生らしい女の子が向かって右端に、20台前半と思われる若い女性がその隣に座っていた。
電車が走りだして間もなく、真ん中の若い女性がバッグから何やら取り出して、顔のメークをやり始めた。最近電車の中で、こういう光景をよく見かけるが、あまり美しくない。

さて、駅をどれくらい通り過ぎただろうか。実年と思しきおばさんが乗り込んできて、向かいの真ん中の女性に向かって、「ここは優先席ですから、ケータイの電源を切ってください。今放送してたでしょ。私はペースメーカーを入れていますので...」などと喚いていた。
それでもその女性、嫌な顔をしてケータイを仕舞ったものの、席を譲ろうとしない。

実年のおばさんは、そのまま奥へ進んで最後部のドアに身体を寄りかける。
ややあって、小生の隣に座っていた青年が「どうぞ」と言って席を譲る。
おばさん、何度か遠慮する素振りを見せていたが、結局「ありがとうございます、助かります」と言いつつ隣に座った。
隣のおばさん、座ってもなお、席を譲ってくれた青年に向かって、「若い人は席を立とうとしないんだから、こちらはペースメーカを入れているのに。本当に助かりました。」などと、よく通る声で喚いていた。

この辺りでは、既に車内は乗客でいっぱいになっていたから、向かいの優先席の女性の姿を見ることはできなくなっていたが、小さくなっていたのだろうか。それならまだ救われるが...。
近頃では、「ちょうムカつくんだよ、くそばばあー、早く死んじまえ!」などと喚き返す、とんでもない若者達が増えているようだから、何ともとげとげしい世の中になってしまったものだ。

しばらく経って、隣のおばさん、「次の駅で降りるから」と独り言を言いながら、小生の前に立った。
ややあって、別の青年が空いた隣の席に座って、やにわにケータイを取り出した。
すかさず立っているおばさん、「ケータイの電源を切ってください。」 座った青年、「時間を見ただけですよ。」
なおもおばさん、「ここは優先席ですからね、電源を切れないなら、ここに来る資格はないんですよ。」と頑張る。
小生はと言えば、電源を切らないまま小さくなっていた。(^_^;)
それにしても、このおばさん、声だけを聞いていたら実に元気だった。本当にぺ-スメーカを入れている病人なんだろうか、と思ったものだ。
あれから10数年、小生の身体にもペースメーカが入っているが、それなりに、元気で暮らしている。病人という実感はない。
17 投稿日:2020/02/03
高裁が原発の運転禁止

右の資料は、東京新聞1月18日朝刊の記事の抜粋である。

広島高裁が、四国電力伊方原発3号機の運転禁止を仮処分決定で命じたものだが、これには強い違和感を感じる。

そもそも、伊方原発の再稼働は、東京電力福島第一原発事故の反省の上に立って、新規制基準を作り、その新規制基準に照らして、原子力規制委員会が適切と判断したものであった筈である。

原子力に関しての国家の最高権威である筈の原子力規制委員会の判断を、広島高裁は不合理だとしたのである。
これは、「原子力規制委員会が国の最高権威ではない」と言っているに等しい。

原子力規制委員会が最高権威であるのか否か、そのメンバーの人選等に問題はないか、などを議論するのなら、分からぬでもないが、科学技術に関しての国の最高権威のメンバーによる委員会の判断内容を覆すことになれば、高裁の決定には、三権分立のあり様が問われるような、極めて大きな問題を内包しているような気がしてならない。

16 投稿日:2020/02/01
宝登山の蝋梅

1月30日に行った宝登山の蝋梅の様子である。

右の写真の上段は、往路で乗ったロープウエーの「ばんび号」である。
このロープウエーは、小生が往路で乗った「ばんび号」と、復路で乗った「もんきー号」の2台のゴンドラを、釣瓶の原理を利用して運行されている。

ロープウエー山頂駅から出たところから見渡すと、蝋梅はまだまだ蕾の方が多い感じで、ちょっと早すぎたかな、と感じたのだが、山に入り、登ってゆくと、花が増えてきた。

下の写真は、山頂にほど近いところの様子である。


左は上の写真の一部をクローズアップした写真である。
中々の見栄えだった。
15 投稿日:2020/01/31
宝登山神社奥宮

昨日は好天の中、蝋梅を観賞するべく、埼玉県長瀞町の宝登山に登った。

登ったと言っても、今回は、往路・復路共に、ロープウエーを利用した。

ロープウエー山頂駅から、蝋梅の花を眺めながら、宝登山山頂にたどり着き、山頂近くにある宝登山神社奥宮に立ち寄る。

(右の写真は奥宮、下は説明板)


上の説明板の写真は、少々読みづらいので、オリジナルの写真を慎重に読んで、下に書き記しておく。
 この地は、今から1900年の昔、第12代景行天皇の
皇子日本武尊が、神霊を拝したところと伝えられます。
 日本武尊は東国平定の折、この山の神秘な雰囲気と美し
い姿に心ひかれ、身を清め山に分け入りました。しばらく
進むと突然の炎に包まれ、危うい事態に陥りました。その
時何処からか大きな山犬たちが現れ、荒れ狂う火を消し止
め、尊を山頂に案内すると姿を消してしまいました。
 尊は山犬たちが、山の神の「神使」=大口真神(おおくち
まかみ)と悟られ、山を「火止山」(ほどさん)と名付け、秩
父の山々が幾重にも連なる荘厳な眺めは、神を祀るに相応
しいところとされ、神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこ
のみこと=神武天皇)、大山祇神(おおやまつみのかみ)、火産
霊神(ほむすびのかみ)の三柱をお祀りしました。
 「火止山」(ほどさん)はその後、霊場として栄え、日本
武尊が神霊を拝したこの地に奥宮を、麓に本社を造営しま
した。弘仁年中(810〜824)に宝珠が山上に飛翔する端
祥から、神社と山名を「寶登山」と定め今に至ります。
 奥宮の祭は八十八夜(5月2日)に行われます。当日は
本社境内の日本武尊社から渡卸し、祭典が斎行され神楽が
奉秦されます。尊の登頂の故事を偲ぶ多くの参拝者で、山
頂は大いに賑わいます。この祭りは「つつじ祭り」とも言
われ、秩父地方の農耕始めのめやすになっています。
14 投稿日:2020/01/17
探査機はやぶさ2

小惑星“りゅうぐう”へ着陸して、岩石の採取に成功した探査機“はやぶさ2”が、今年中に地球に帰還する見通しである。

探査機本体は、燃料にまだ余裕があるらしく、地球の上空で、岩石試料の入ったカプセルの切り離しが成功すれば、再び別の惑星に向かって長旅を続けることになるらしいのだが、カプセルを無傷のまま地上に持ち帰ることができるのか、これが最大の難関のようだ。

何しろ、このカプセルには、地球の生命の起源を知るための極めて貴重な試料が含まれているのだから。

今年の暮れが近づく頃には、ワクワク、緊張する場面が再現されることだろう。

(東京新聞1月15日夕刊より)
13 投稿日:2020/01/06
青梅マラソン(昔の独り言)

2月16日に開催される今年の第54回青梅マラソン大会では、スペシャルスタータに元サッカー女子日本代表(なでしこジャパン)の澤穂希さんが務めることになったようだ。

さて、2006年の青梅マラソンには、高橋尚子さんこと、Qちゃんがやって来て、大変な人気だった。
以下は、その時の様子をブログに投稿したものである。
Qちゃん号砲
DATE: 02/19/2006 02:08:32 PM

2006年2月19日のことだった。
青梅マラソンも今年で40回になる。この記念すべき大会の30キロの部のスターターを、Qちゃんこと高橋尚子選手が務めることになっていたので、Qちゃんに会いに出かけた。

Qちゃんは、午前10時スタートの10キロの部を軽く走った後に、午前11時50分スタートの30キロの部のスターターを務めた。

大混雑の沿道の中、11時30分頃スタート地点にたどり着いた。沿道は応援の人達がぎっしり詰まって動けない状態だったが、何とか潜り込んで、ひたすらQちゃんを待つ。

その間、応援に駆けつけた往年の名ランナーの君原氏が壇上に上がって挨拶。
スタートの5分くらい前になって、やっとQちゃんが壇上に現れると、沿道の観衆から大きなQちゃんコールが沸き上がる。

簡単な挨拶の後、あちこちからのコールに応えて、ピストルを構えてポーズをとるQちゃん(写真右)。
この笑顔が可愛くて素敵だ。(^◇^)

それにしてもQちゃん人気は凄い。号砲を鳴らして選手達が一斉にスタートすると、今度は走り出した選手達から次々にQちゃんコールが沸き上がって、いつまでも鳴り止まない。15分以上は続いただろうか。(写真下)

こちらも身動きがとれない状態が続いて、写真を撮るのも大変だったし、結構疲れた。
でもQちゃんに会えて、大満足。(^^♪
12 投稿日:2020/01/12
銘木鎌倉の梅

ウメ輪紋ウイルスに侵されて、吉野梅郷周辺の梅は、2014年に全部伐採されてしまった。

いま吉野梅郷は、梅の再生に向けて、地域を挙げて取り組んでいる最中であるが、どうしても取り戻せないものもある。
この地域にあった、“岩割の梅”や“鎌倉の梅”などの銘木までもが伐採されてしまったことである。

下の写真は、伐採されて今はない“鎌倉の梅”であり、右は傍らに置かれていた説明板をクローズアップしたものである。

11 投稿日:2020/01/09
品目横断的経営安定対策?

(東京新聞2007年4月10日朝刊の記事参照)

品目横断的経営安定対策

何とも大げさで、分かりにくい言葉だが、時の農林水産省が、“戦後農政の大転換”だとして、2007年にスタートさせた筈の施策だった。

そもそも、農家1戸あたりの農地面積が諸外国に比べてあまりにも小さいことが最大の問題だった筈だが、加えて、農業従事者の高齢化、農地の耕作放棄が進んでいた。

あれから10数年が経過した今、何がどう変わったのだろうか。

“ノー政”と言われないような、効果が現れているのかな?

10 投稿日:2019/12/31
中と外、入ると出る(昔の独り言)

小生の昔の独り言である。
2015年の5月に、以下のようなつぶやきをブログに投稿していた。
2015.05.29 20:12
中と外、入ると出る

今日の最高気温は23°で、午後には雨も降って、久しぶりの涼しい一日だった。

さて、中と外、どっちが中で、どっちが外なのか、分からなくなることがある。
入るは中へで、出るは外へ、と考えるのが普通の感覚と思うが、これも分からなくなることがある。

まず、‘日の入り’と‘日の出’について。
日の入りは日没のことであり、我々の見える範囲から出ていくと捉える方が自然のようにも思えるのだが、なぜ‘入る’なのか。
これを‘中と外’の観点から見ても、我々の見える範囲が中で、その向こう側は外と考える方が自然のように思われる。
このように考えると、‘日の入り’は‘日の出’であるべきであるし、‘日の出’は‘日の入り’でなければならないと思うのだが、逆になっているところが面白い。

次は野球のホームランについて。
 「打ったあー、これは大きい、入るか、入るか、入ったー、ホームラン!」
などと、アナウンサーが絶叫する場面がしばしばある。
何故ホームランは‘入る’なのか。野球の戦場はグランドなのだから、打球がグランドの外へ出るのがホームランであると考える方が自然と思うのだが、どうだろう。
 「打ったあー、これは大きい、出るか、出るか、で、出たあー、ホームラン!」
と絶叫する方が正しいと思うのであるが、そうならないところが面白い。

次は堤防について。
川や湖に堤防が造られるが、堤防の外は川であり、その反対側が堤防の内である。これは世界的な決め事なのだが、日本人は反対に思っている人が意外に多いのかも知れない。
川の護岸に金網のフェンスを設けている場所があるが、このような場所に、
 「危険ですから、金網の中に入らないで下さい」
などと書いた貼り紙を見かけることがある。これは、
 「危険ですから、金網の外へ出ないで下さい」
と書くのが正しいのではなかろうかと思うのだが、反対になるところが面白い。
09 投稿日:2019/12/28
吉川英治記念館が復活

右は、時々配布される“街プレ西多摩板”第206号の記事の抜粋である。

今年3月に閉館したばかりの吉川英治記念館が、来年9月に改めて開館することになったらしい。
公益財団法人吉川英治国民文化振興会が、青梅市に寄贈を申し出て、青梅市がこれを受領したものである。

ここへは、これまで2回か3回しか行っていないが、閉館になってしまうと、ちょっと寂しいなと思っていたところだったので、朗報ではある。

この後は、青梅市の管理で続けられることになるのだと思うが、何かが少し変わるのかな?

何がどう変わるのか、楽しみにしながら、来年の会館を待つことにしよう。
08 投稿日:2019/1219
マイバッグ?

右は2007年1月の記事であり、この頃から、スーパーなどのお店のレジ袋が有料になり始めたのだが、10年以上経っている割には、あまり進んでいないようにも思う。

レジ袋の有料化は、既に実施しているところも多いのだが、まだまだ不十分ではないだろうか。

我々の子供の頃は、ビンや鍋などの容器を持って買い物に行くのが、当たり前のことだった。
もっと思い切って、抜本的に見直してはどうか。

何を見直すべきなのか? 容器の再利用である。

缶ビールや缶ジュース、ペットボトル飲料などは、マイ容器を持ち歩いていれば、買うのは中身だけ済む。
こういう仕組みを構築してゆけば、使い捨て容器は殆どなくなる筈だ。

ごみを減らすには、“リサイクルよりリユース”なのである。

容器のメーカーは猛反対するだろうが、資源節約と地球環境を守るためにも、どんどん、やるべきである。

(参照資料:東京新聞2007年1月15日夕刊)
07 投稿日:2019/12/14
下山八幡神社

吉野梅郷がまだ華やかだった頃は、毎年、2月から3月初めにかけて、梅を見に通っていたものである。
即清寺横の無料駐車場に車を置いて、そこから梅の公園をのんびり歩いて往復するのが定番コースだった。

右の写真は、2006年2月19日にここを歩いた時の、コースの途中にある下山八幡神社を撮ったもので、ここに説明板が置かれているのだが(下の写真)、三間社流造りとか一間社流造り、こけら葺型銅板葺とか瓦棒鉄板葺、一部弁柄漆塗りなど、小生には意味の分からない言葉が並んでいて、これを読んでもさっぱり分からない。

06 投稿日:2019/12/13
昏睡2年・全部覚えていた?

交通事故にあって2年間も昏睡状態が続いて、医師からも見放されていた男性が目を覚まして、この間に起きたことを全て理解していたという。

信じられないことだが、本当なら、何とも怖い話だ。その男性がもしそのまま死んでいたとしても、誰も不自然に思わない状態が長い間続いていたのだから。

2年間もの間、全て聞こえて分かっていながら、自分の意志を全く誰にも伝えることができなかったなんて、つらすぎる。

あれから10数年経った今、この人、元気でいるのだろうか。

(右は東京新聞2005年10月6日夕刊の記事より)

05 投稿日:2019/12/09
ホームラン王と最多勝投手のチームが最下位?

右の記事は、東京スポーツ 2005年10月14日付のものであるが、この年の広島カープは、最多勝の黒田博樹と、ホームラン王の荒井貴浩を擁していながら、チームは最下位だった。

こんなことは、この時点でも、“新記録”だったようだが、その後も、この記録は破られていないのではなかろうか。

実に珍記録というべきだろう。

そう言えば、イチローがかつて所属していたマリナーズも、イチローが日々ヒットを量産する中、最下位だった、というようなことも、随分あったような気がするが、・・

04 投稿日:2019/12/08
ここにも明治百年記念
明治百年記念
 国営武蔵丘陵森林公園

 近代日本の百年間の歩みは、
産業の発展をもたらした反面、
都市やその周辺の自然環境の悪
化が累積された百年間でもあり
ました。
 武蔵丘陵森林公園は、この百
年間の反省と将来のよりよい生
活環境の創造、とりわけ、緑を
とおして豊かな人間性を培う場
として、明治百年にあたる昭和
四十二年より七年余りの歳月を
費して建設省が整備した国営公
園です。
建設省


下の写真は過日(12月5日)、国営武蔵丘陵森林公園を訪れた際に撮ったもである。

低地にある公園の中央口から、少し登った丘の上に、“記念の広場”があって、ここの石垣に、写真のような説明板が設置されていた。
この説明板に、右のような内容が書かれていた。

この場所は、これまで何度も見ているのだが、あまり意識しないまま通り過ぎていたようだ。
この公園全体が、明治百年を記念して造られたものであるらしい。
ここにも明治百年記念があった。

明治百年は西暦1968年になるが、この頃、全国各地に記念になるものが造られていたのだろうか。

03 投稿日:2019/12/04
雲と霧は同じものなの?

まず霧(きり)とは何か。

学問的には、次のようなことらしい。
 水蒸気を含んだ大気の温度が何らかの理由で下がり、
 露点に達した際に、含まれていた水蒸気が小さな水粒となって、空中に浮かんだ状態であり、
 一般に大気中の水蒸気が飽和状態に達したときに発生する。

では雲とは何か。実は、
 その実体は霧と同じ
であるらしい。

ではどのように使い分けているのか。
 大気中に浮かんでいて地面に接していないものが雲で、地面に接しているものが霧である。
という定義があるようだが、必ずしも釈然としない。

例えば、山に雲(または霧)がかかっているとしよう。
地面に接していても、いなくても、遠くから見れば、雲に見えることが多いと思うが、その山に登って実際にその中にいる人にとっては霧である。
また厚い雲の中に飛行機が入り込んだとき、乗客からは霧に見えるはずだ。

ということで、見え方の問題になりそうだが、その見え方が単純に、
 その中にいるときは霧で、離れたところから見れば雲
とはならないように思う。

例えば、いわゆる“ガスっている”という状態がある。
自分がその中に入っていれば、問題なく霧でよいが、離れたところからでも“ガスっている”状態を見ることが時々ある。離れていても雲には見えず、霧に見える状態がある。

右の写真は山梨県の甘利山から富士山を眺めたものだが、撮影者自身が立っていた場所も霧に包まれていて、周りの霧が晴れた瞬間に撮影したものだ。
富士山を隠しているものは雲に見えるが、しかし手前のものは、ここで晴れた霧の続きかも知れず、霧と言うべきかも知れない。

結局のところ、単純に見え方だけで定義した方がよいように思うが、その見え方を定義することは難しそうだ。
そもそも実体が同じものなのに、違う言葉を使うところに無理があるのかも知れない。

こちらの写真は山梨県三窪高原のハンゼの頭(標高1681m)から撮影したもので、やはり富士山をターゲットにしている。
上空は晴れていて、富士山がよく見えていたのに、右下の甲府盆地には濃い霧がかかっていた。写真では雲に見えないこともないが、甲府盆地の町並みがうっすら見えていて、全体としての見た目は霧という印象だった。
この時、甲府盆地の地面からどのように見えたのだろうか。地面もガスっていたのか、あるいは雲に見えたのか...
02 投稿日:2019/12/01
現役の蒸気機関車C58(シゴハチ)

小生が子供の頃には、蒸気機関車が当たり前に走っていた。
(とは言っても、ど田舎だったから、蒸気機関車だって、滅多に見なかったのだが、・・・)
電車などというものは、東京のような大都市に出向かなければ、見ることもなかった。

それが何時頃からだろうか、蒸気機関車を見ることが、全くなくなってしまった。
いまや、蒸気機関車は、青梅鉄道公園のような施設で、“展示物”を見るだけになっている。

そんな中、辛うじて生き残っている蒸気機関車があった。
下の資料は、2005年の新聞記事(東京新聞6月20日夕刊)であるが、この時から10数年経った今でも、まだ頑張って走っているらしい。
秩父鉄道が、土曜日と日曜日に1往復だけ運行しているようで、何度か見かけてはいるのだが、まだ一度も乗ったことがない。
消えないうちに、1度だけでも、乗っておきたいと思っているのだが、・・・

01 投稿日:2019/11/28
2006年の新庄劇場(昔の独り言)

2006年に現役を引退した後、しばらく鳴りを潜めていた元日本ハム選手の新庄が、またまた、お騒がせマンになったかな? (関連記事:元日ハムの新庄が現役復帰?

さて、新庄の現役最後の年になった、2006年のプロ野球界は、極端に言えば、
 新庄劇場で始まって、新庄劇場で終わった
ような1年だった、と言えるかもしれない。

この年の新庄について、小生が投稿したブログ記事を、まとめて取り上げておくことにしよう。
新庄今季限りで引退
DATE:04/19/2006

(右の写真は nifty より)

日本ハムの新庄が試合後のヒーローインタビューで、
 「みんなに報告したいことがあります。 今季限りでユニホームを脱ぐことを決めました」
と話して、今季限りで引退を表明した。

ヒーローインタビューでの引退表明とは、新庄らしい気もするが、シーズンがまだ始まったばかりのこの時期の表明というのは意外な感じがする。
引退を惜しむ人たちに球場に来てもらい、集客増を狙いたい球団の思惑もあったのかな。


新庄天空から降臨
DATE: 06/07/2006

参照資料:東京新聞6月7日朝刊

6日に行なわれた札幌ドームの対阪神戦で、日本ハムの新庄選手がドームの天井からゴンドラに乗って登場した。
下方の球は一瞬気球かと見誤ってしまったが、気球が下にぶら下がるはずもない。^_^;
ゴンドラを安定させるための錘(おもり)なのだろう。
派手好きの新庄らしいパフォーマンスだが、試合でもしっかり得点につながる内野安打を打っているから、文句なしだ。

次は何をやるのかな?
ロープを使わず、気球にゴンドラをぶら下げて登場するかな。
いや落下傘の方が迫力があるかな? 怖いよう〜。


野村監督の愚痴
DATE: 09/20/2006

野村監督の愚痴はいつものことだが、ちょっと辛らつだね。
まあ、これは聞き流すことにしよう。

それより、もし楽天に新庄選手がいたとしたら、野村監督はどう対応したのだろうか。
そして、新庄選手はやはり同じようにパフォーマンスを発揮したのだろうか。こちらの方が興味がある。(~o~)

新庄選手のパフォーマンスは、ファンが喜んでいるのだから、大いにやっていいと思うけど..(^^♪

参照資料:東京スポーツ9月21日号

日ハム王手
DATE: 10/11/2006

(右は以下NHK総合テレビより)

今年のパリーグのプレーオフには格別の感慨があった。
まず西武の松坂は来季はメジャーに行くことが確実視されていたので、日本シリーズまで見たかった。
ソフトバンクは王監督が癌による入院手術があって、日本一になって欲しい。
日本ハムの新庄選手は今季限りの引退を表明していたので、日本シリーズまで見たい。
こんな感慨を持ってプレーオフを見守っていたが、まず第一ステージで松坂の西武が脱落して、いま日本ハムとソフトバンクの第二ステージが始まった。
1勝のアドバンテージを持つ日本ハムがまず勝って、早くも王手をかけた。
王ソフトバンクに日本一になって欲しいし、新庄選手も日本シリーズで見たい。困った、困った。(^_^;)


新庄がみのもんたに?
DATE: 10/14/2006

(参照資料:東京スポーツ10月14日号)

今シーズン限りで引退する新庄がみのもんたのような司会者になりたがっていて、テレビ各局からの引き抜き合戦が始まりそうだとか。

さて、どういうものだろうか。
今まで見たところでは、確かに面白そうなキャラクタではあるが、決して話術に長じている感じはしない。
それに、社会全般に渡るそこそこの知識も必要だろうし、彼の持つ独特のキャラクタを潰してしまうことにならないか。
番組の内容次第かな。


やったね新庄!
DATE: 10/26/2006

新庄のシーズン中の引退宣言に始まって、プレーオフから日本シリーズまで、こんなに見事にドラマが始まって、こんなに見事なクライマックスシーンがあって、こんなに見事にドラマが終わるなんて、シンジラレナーイ!
一人の男がシーズン中から日本一まで、これほど引っ張ってきた例は過去に皆無だろう。
結局日本一になって、全くもって見事な花道を飾った新庄と、そして優勝した日本ハムの皆さん、おめでとう!

これで「新庄劇場 プロ野球編」はめでたく幕を閉じたが、さて次の新庄劇場は何編が始まるのだろうか。

(画像はテレビ朝日より)