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これまでのアドレス帖をきれいに包んで机の奥にしまってしまう



思いや心のどこを生活しているのか、もう
だいぶ前からわからなくなっているし
いつもおしゃべりばかり続けてはいても
だれにもことばなど届いていないとわかってもいる
友だちかもしれないと思った人たちは
一時しのぎにわたしをおしゃべり相手にしただけの人たち
ずいぶんとそういう人たちも剥がれ落ちて
あたらしく春を迎えようというこの頃
すっかり風通しのよくなった交友録
アドレス帖のあの名この名に線を引いているうち
気づいたのはほとんど誰も残っていないということ
線など引かずにまるごと捨ててしまえば
それでいいのだということ

いや、やっぱり捨てずに
友だちというものがいると幻想に浸っていた時期の
最後のたったひとつの記念として
とっておこうかと思う
皮張りのきれいな手帖で
それにとっても小さいのだもの
二度と役に立つことはないだろうけれど
人生の一面のたったひとつの記念
小さな乾燥剤を添えて
ビニールできれいに包んで机の奥にしまう
むかし友だちというものがあって
それを信じていた時期があって
――なるほど人生は幻想のほころびだろうけれど
あんな幻想もなかなかよかったじゃないかと
心のはつ夏を懐かしみたくなった時には
出して眺め直してみる

だれにも届いていないことばでおしゃべりしながら
ひとり自らことばに反応したりして
さらに接ぐことば
ことば
思いや心のどこを生活しているのか、もう
だいぶ前からわからなくなっているし
わからなくてもいいと思うようになっている
みんな勝手にすればいいだろうさ
もうわたしもあなたたちを見はしないから
あなたたちのことばなど
わたしでさえ
もう聞きはしまいだろうから
されてきたことをそのまま返すようになっていくことを
成熟というのかもしれなかった
わたしは収束し門を閉め
さようなら
なにかがついにまわり切ったということ
終ったということ
さようなら
捨てはしないけれど
これまでのアドレス帖をきれいに包んで
机の奥底にしまってしまう
ということ





「ぽ」272 2008年3月

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