道の駅・農産物直売所を訪ねる 奥武蔵日帰りドライブ情報 6 | ||
道の駅・農産物直売所を訪ねる 奥武蔵日帰りドライブ情報メニュー トップページ・よくいくドライブコース ドライブレポート 2008年12月23日(火)両神・吉田へ 2008年11月30日(日)ときがわ・嵐山へ 2008年11月15日(土)柳沢峠・雁坂トンネルへ 2008年10月25日(土)秩父・両神へ 2008年9月23日(月)ときがわ・嵐山へ 2008年8月31日(日)秩父・花園・嵐山へ 2008年8月8日(金)有間峠・雁坂トンネルへ 2008年7月28日(月)ときがわ・嵐山へ 2008年6月28日(土)両神・三峰神社へ 2008年5月22日(木) 雁坂トンネルへ 2008年4月26日(土)子の権現・嵐山へ 2008年4月19日8(土)柳沢峠・一宮へ 2008年4月 5日(土) 両神・荒川へ 2008年3月8日(土)ときがわ・花園へ 比較一覧表 訪れた道の駅・農産物直売所等比較一覧表 日帰り圏内 公営日帰り温泉比較一覧表 日帰り圏内 ダム比較一覧表 今日訪ねた 道の駅・農産物直売所 名栗農林産物加工直売所 道の駅「果樹公園あしがくぼ」 両神温泉薬師の湯 道の駅龍勢会館 JA花園農産物直売所 ふれあいの里 たまがわ 建具会館 局前販売所 大野特産物販売所 |
2008年6月22日(日) 両神・吉田・花園へ 道の駅・農産物直売所を訪ねる 自宅−青梅−名栗ー山伏峠−芦ヶ久保−秩父ー両神ー吉田の龍勢会館ー花園−嵐山ーときがわー高篠峠ー大野峠ー狩場坂峠ー正丸トンネルー山伏峠ー小沢トンネル−青梅−自宅 何かと用事が重なって、ドライブに行く順がなかなか回ってこなかったのですが、今日ようやくいけることになりました。 出発は例によって、ゆとりの9時57分。しかし、天気予報は雨でコンディションは良くないのですが、これを逃すと何時になるか分からないので、雨を覚悟で出発しました。 コースは、両神から吉田の龍勢会館を経て花園へ、帰りは嵐山まわりで、いつものコースで帰ることにしました。 小沢トンネルをくぐり名栗に入ったあたりから、雲が低く山にかかり、あたりは水墨の世界になってきました。 その景色を写真に撮ったのですが、悲しいかな携帯電話のカメラでは、その微妙なところが表現できません。 名栗農林産物加工直売所 はじめに寄ったのは有馬ダム手前の名栗農林産物加工直売所です。 上の写真は前回ここを訪れた時に撮ったものです。下は今日撮ったのですが、丁度上の写真を撮った姿勢から回れ右をした後ろの景色です。 川は入間川、左手の大きなビルは県道53号線沿いの何とかケアセンターとか看板に書いてあった建物。 名栗農林産物加工直売所の中は、農産物、お弁当・煮物・プリン・チーズケーキなどの加工品、手芸小物、お土産などが販売されていました。 奥の部屋ではその加工品を作っているのが少し見えました。 この記事を書くにあたり、ネットで名栗農林産物加工直売所について調べていたら、なんとこのサイトが出てきてしまいました。 ここは相当情報が乏しいようです。 とうとう雨が降ってきました。 4月26日のレポートで水場を3か所紹介しましたが、山伏峠の手前のお堂のわきにもあります。 雨が降っているので車をちょっと止めて、窓を開けてパチリと撮りました。後で見ると大事な水場のところがよく写っていません。右のはじにあるのですが、ここはよく通るので次回ちゃんと写したいと思います。 山伏峠を越え、国道299号線を少し走ると道の駅「果樹公園あしがくぼ」です。 少々休憩の後、国道299号線をさらに秩父に向かって走ります。 秩父の国道140号と交差する上野町交差点を右に曲がります。道の駅「ちちぶ」の前を通って、少し行って警察の前で左折し秩父鉄道の線路をくぐって、再び国道299号に戻ります。 この文を書くにあたり改めて地図を見たら、上野町交差点を曲がらずに、299号をそのまま進み本町交差点を右折すれば同じだということが分かりました。 今まで何十回も通っていましたが、何となく駅の近くは混雑する、できるだけ近寄らない方が賢明ということで直進したことはありませんでした。 国道299号をさらに進み、秩父橋を渡り一路小鹿野を目指します。 両神 小鹿野に入ってしばらく行くと、黒海土バイパス前という交差点があります。黒海土とは「黒い土の開墾地」とか「塀で囲まれた土地」というような意味があるそうです。 これを左折してしばらく行くと、農協とこんにゃく工場とこんにゃく屋さんがありますが、今日は寄らずに通り過ぎます。 そして少し進んで道の駅両神温泉薬師の湯に着きました。 今日ここに来たのには少し訳があります。 長い間梅干しをつけているのですが、毎年その時期になると丁度熟し始めていい香りのする梅を福島の親せきの家に車で取りに行ったり、送ってもらったりしてました。 ところが今年は不作でそれができないことが分かりました。 ずいぶん前にも一度そういうことがありました。その時は、近所で青い梅を購入し漬けましたが、やはり味はもう一つでした。 ようするに、木で熟し始めてちょっと梅のいいにおいのするときに取った梅がほしいのです。 具体的に何かあてがあったわけではないのですが、両神にきてみました。 農産物直売所でいろいろ買い物をして、梅のコーナーで2袋だけ少し熟したような色をしたものがあったので、買うことにしました。 レジで、梅干しにするので少し熟した梅がほしいのだけれど、もっとないのかと聞いたところ、「その袋は売れ残って色づいたもので、月末になれば梅も熟してくるので電話してあげますよ」と親切に言ってくれました。 「じゃあよろしく」ということで、電話番号のメモをおいてきました。 吉田の龍勢会館 埼玉県道37号線を黒海土バイパス前まで戻り、そのまま直進して吉田の龍勢会館を目指します。 10キロぐらい走ると着きました。 道の駅「龍勢会館」は、龍勢祭の展示紹介をしている龍勢会館と復元された井上伝蔵邸、そして農産物直売所と食堂の龍勢茶屋などからなっています。 龍勢会館は「椋(むく)神社例大祭」、別名「龍勢祭」の展示紹介をしています。 実物のロケットの展示をはじめ、150インチ大型スクリーンによる龍勢祭りの紹介映画、祭の時の実際の発射を再現する実物大のやぐらの先端部分、ロケット製造の各工程を説明するビデオ、龍勢祭参加の27流派のそれぞれの紹介、他県の世界の龍勢等を紹介しています。 映画「草の乱」撮影のために復元された秩父事件の困民党会計長井上伝蔵邸(丸井商店)は撮影終了後「秩父事件資料館」として、井上伝蔵関係の資料や撮影の時の衣装等が展示されています。 雨が相変わらず本降りの状態なので、写真は龍勢茶屋の食堂の中からガラス越しに撮らざるをえませんでした。 セットの建物は瓦も手前の方しか葺いてないものでした。最近一部を飲食店として使っているそうです。 秩父事件 秩父事件は、1884(明治17)年11月1日夕刻、ここ龍勢会館近くの椋(むく)神社に3,000人の農民などで構成される困民党が集まり武装蜂起したことから始まります。 背景 秩父では江戸中期から養蚕が盛んでした。1859(安政6)年から貿易が始まると、生糸は最大の輸出品となり高値で取引されました。 明治になってからも、松方デフレの影響がではじめる明治15年までは好況が続きました。 そんな中、養蚕のさらなる近代化、質向上のため借金をして投資する人もいました。投資をしなくても、日常の食料品や生活費を借金で賄い、生糸が売れたらそれを返すという人もいました。 一方、娯楽もいろいろなものが入るようになりました。それとともに自由民権の思想も入ってきました。当時の村会の記録に「自由」や「権利」という言葉が書かれていたそうです。 1881(明治14)年に書かれた五日市憲法草案が発見された、五日市深沢家の土蔵からは、当時の欧米書の翻訳本がたくさん出てきたそうです。 1881(明治14)年板垣退助らによって自由党が結成されています。翌年には早くも秩父にも組織ができています。 松方デフレは、大蔵卿松方正義が西南戦争で乱発された不換紙幣によるインフレーションを解消すべく、緊縮財政と酒やたばこなどの間接税増税をしたことです。 このため米価などの農産物価格は下落し、生糸はヨーロッパ不況によるフランスのリヨン生糸取引所の暴落とも重なり大暴落しました。 このため農家、特に養蚕のウエイトが高い秩父の農民は学校費・町村費の負担増も加わって借金の返済不能に陥り破産する人もいました。 さらに窮状につけこんだ高利貸や銀行によって悲惨な状態となりました。 経過 1884(明治17)年養蚕が終わった後、300人の自由党員が中心になって各地で山林集会を開き、困民党を組織していきました。 困民党は、借金の10年据え置き、40年年賦、学校の一時休校、諸税の減免をかかげ、役所には嘆願と悪質な高利貸の指導を、高利貸には直接交渉を何度もしました。 しかし、官は受け付けず。高利貸は拒否したうえ一層過酷な取り立てをしました。 そしてついに、合法的手段ではらちがあかず、激論の末武装蜂起ということになり、準備に入りました。 武装蜂起の11月1日当日次のような任務分担と軍律がきめられました。 総理 田代栄助 大宮郷 副総理 加藤織平 石間村 会計長 井上伝蔵 下吉田村 宮川津盛 上日野沢村 柴岡熊吉 大宮郷 参謀長 菊池貫平 長野県北相木村 甲大隊長 新井周三郎 男衾郡西野入村 副長 大野苗吉 風布村 乙大隊長 飯塚森蔵 下吉田村 副長 落合寅市 下吉田村 以下略 軍律 第一条 私に金円を掠奪する者は斬 第二条 女色を侵す者は斬 第三条 酒宴をなしたる者は斬 第四条 私の遺恨を以て放火その他乱暴をなしたる者は斬 第五条 指揮官の命令に違反し私に事をなしたる者は斬 この日深夜困民党軍は小鹿野に、翌日には郡都大宮郷(秩父)を占拠し郡役所を革命本部としました。この時点で人数は8,000から10,000人に達しました。 政府側は警察・憲兵隊・鎮台兵を動員し鎮圧にかかりました。 火縄銃と刀と竹やりの困民軍は、近代兵器の警察・憲兵・鎮台兵に追われ一部は群馬県山中から長野県南佐久間まで転戦しましたが11月9日に鎮台兵に敗れ壊滅しました。 戦死者は困民党軍25名以上、警官3名、その他1名などです。 事件後の裁判では死刑7名など4,000名が処罰されました。 事件は長い間「秩父暴動」と呼ばれ、恥ずべき歴史とされてきましたが、近年は見直されています。 映画「草の乱」は欠席裁判で死刑になりながら、北海道に逃れ天寿を全うした困民党会計長の井上伝蔵を主人公にしたものです。 花園 雨の中、埼玉県道37号線を長瀞目指して走ります。途中前に寄ったことのある秩父華厳の瀧の標識もありましたが、雨がひどいので次回またということで通過しました。 皆野につきました。いつもはここで140号を渡って皆野長瀞ICにいき、皆野寄居有料道路で花園に行っていました。 でも今日は、いつもと同じでは芸がないので140号を左折し荒川にかかる親鼻橋を渡って長瀞経由で花園に向かうことにしました。 さいわい、それほど渋滞もありませんでした。140号と有料道路は花園の手前で合流しているのですが、それもいつもと違う立場で経験ができました。 花園の道の駅に着きましたが、ここはいつ来ても人が多いですね。はじめに農産物販売所に入りましたが、店舗も広いしおそらくこの近辺では一番の広さだと思います。 植木と花卉も量も多く、場所も広い。写真はビニールハウスの中と外を撮ったのですが、雨のせいかひどい写真になってしまいました。 ビニールハウスの中は比較的狭い面積に区切られ、出荷している人は100人以上という感じでした。 外も写真に写っているの鉢物の他に地植えのさまざまな苗木類があります。 このあと、アルエットにも寄って花園をあとにしました。 帰りは140号線を少し秩父の方に戻り、玉淀大橋北交差点を左折して国道254号線に入ります。 まっすぐしばらく走ると、人が歩いていない歩道はあるものの高速道路と同じ感じになってきます。15キロ程走ると嵐山に着きます。 嵐山 カインズホームに寄って、暑かったのでソフトクリームを食べ、ラッキョウを漬けるための酢、その他若干の買い物をしました。 JA埼玉中央嵐山農作物直売所は雨と時間の関係で通過し、「ふれあいの里たまがわ」に向かいます。 ときがわ ここでもいつものように、いろいろと買い物をし、せっかくここまで来たのだからと建具会館、局前販売所と大野特産物販売所にも寄りました。 帰りは当然のことながら、そのまま高篠峠から大野峠をへて刈場坂峠へ、ここから下りて正丸トンネルをくぐり山伏峠を越えて名栗へ、さらに小沢トンネル、松の木トンネル、吹上トンネルを通り青梅に出て帰りました。 今回の走行距離183.9キロ 燃費16.2キロ 帰宅 5:40 ![]() |
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