道の駅・農産物直売所を訪ねる 奥武蔵日帰りドライブ情報 15 | ||
道の駅・農産物直売所を訪ねる 奥武蔵日帰りドライブ情報メニュー トップページ・よくいくドライブコース ドライブレポート 2008年11月30日(日)ときがわ・嵐山へ 2008年11月15日(土)柳沢峠・雁坂トンネルへ 2008年10月25日(土)秩父・両神へ 2008年9月23日(月)ときがわ・嵐山へ 2008年8月31日(日)秩父・花園・嵐山へ 2008年8月8日(金)有間峠・雁坂トンネルへ 2008年7月28日(月)ときがわ・嵐山へ 2008年6月28日(土)両神・三峰神社へ 2008年6月22日日土)両神・吉田・花園へ 2008年5月22日(木) 雁坂トンネルへ 2008年4月26日(土)子の権現・嵐山へ 2008年4月19日8(土)柳沢峠・一宮へ 2008年4月 5日(土) 両神・荒川へ 2008年3月8日(土)ときがわ・花園へ 比較一覧表 訪れた道の駅・農産物直売所等比較一覧表 日帰り圏内 公営日帰り温泉比較一覧表 日帰り圏内 ダム比較一覧表 今日訪ねた 道の駅・農産物直売所 道の駅「果樹公園あしがくぼ」 両神温泉薬師の湯 道の駅龍勢会館 今日訪ねた その他施設 椋神社 |
2008年12月23日(火) 両神・吉田へ 道の駅・農産物直売所を訪ねる 今日のコース 自宅−青梅−名栗ー山伏峠−芦ヶ久保−秩父ー両神ー吉田の龍勢会館ー秩父ー山伏峠ー小沢トンネル−青梅−自宅 なかなか日帰りドライブの順番が回ってこなかったのですが、このままでは12月の記録がないまま過ぎてしまうので、出かけることにしました。 いつものように、青梅街道から東青梅駅前に出て、成木街道に入り黒沢2丁目、吹上トンネル、松ノ木トンネル、小沢トンネルを抜け名栗に着きました。 ここでちょっとびっくりしました。西方の山が白いのです。昨夜は雨が降ったようでしたが、自宅付近は雪の気配は全くありませんでした。 「こりゃあ山伏峠が越えられるかどうか分からないぞ」などと言いながら有間ダム付近まできました。 名栗農林産物加工直売所 は休みでした 名栗農林産物加工直売所はどうすると同乗の妻に訊いたら、寄るというので、交差点を曲がり直売所に向かいました。 駐車場に車を止めるところまでは良かったのですが、直売所は休みでした。 後で、ネットで調べたら12月から2月までは土日のみの営業とありました。やはりこう寒くなるとお客さんも少なくなるのでしょうか。 県道53号に戻り山伏峠に向かいます。 山伏峠は雪でした 峠の手前では道沿いの山には雪はありませんが、少し離れた比較的高い山は白くなっていました。はたして、峠の道は通れるのか心配しながら峠道を上ります。 峠を上る車も、対向車もほとんどありません。少し緊張して上って行きました。 結局写真のように、木や草は白くなっていましたが、道路はまったく凍ったところもなく無事通過できました。 道の駅「果樹公園あしがくぼ」 道の駅「果樹公園あしがくぼ」に着きました。寒さのせいか観光客の出足は悪く、道の駅はすいていました。 いつも出店している外店は低温に耐え切れず、空のテントだけで誰もやっていません。 ギャラリーはここ3回か4回同じ、横瀬の藍染め・草木染め・手絞りの「小泉染工房藍彩苑」の出店です。 その店の中をのぞいていたら、衣類の中に1985年発行の「文芸秩父50号 秩父事件百年」という古雑誌が売られていました。 丁度これから、秩父事件の決起集会が行われたという椋神社に行こうと思っていたところだったので、当然のように買いました。 前にも、秩父事件遺族会発行の「秩父事件」という雑誌の第3号(昭和56年発行)・4号(昭和58年発行)・別冊(昭和56年発行)が置いてあり、買ったことはすでに報告した通りです。 |
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小鹿神社 国道299号線で小鹿野町に入り、少し行くと右側に赤く塗られた大きな鳥居があります。 以前、これを右折して鹿の公園を見つけたことがありました。 今回も右折して、駐車場に車を止め最初に目に入ったのが写真の神社です。名称は、小鹿神社です。 明治43年、この地方を襲った大雨により、現在の町役場裏にあった小鹿野明神の境内が陥没し、崩落の恐れがあるという事態になりました。 そこで、本殿の建物だけを残し、小鹿野明神をここ腰之根の上の森の諏訪明神に合祀し、社号を小鹿神社と改めたということです。 現在、毎年行われる「小鹿神社例大祭 小鹿野春まつり」では、笠鉾、屋台各2基が町内を曳き廻され、夕刻には屋台歌舞伎が奉演されます。その他、神楽が奉納され流鏑馬も行われるようです。 |
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椋神社(むくじんじゃ) この辺りには、椋神社とよばれる神社が六社あります。皆野町に2社、秩父市に3社、そして龍勢祭と秩父事件困民党の決起集会場所で有名な、ここ旧吉田町下吉田の椋神社です。 この椋神社は「延喜式神明帳」に載っていた神社です。明治の近代社格制度でも、他の5社が村社であるのに対し県社でした。 延喜式神明帳と言うのは、延長5(927)年に作成された神社の一番古い戸籍簿のようなもので、ここに記載されている神社を式内社と言います。全国で2,861社ありました。つまり、1,000年以上前からあった。古いんだぞということです。 御祭神は猿田彦大神 武甕槌命 經津主命 天兒屋根命比賣神と合祀されている16神です。 由緒は、日本武尊が東征の折り、椋の大樹の下から猿田彦命が現れて進軍の道案内をしたことから、持っていた鉾を御神体として猿田彦命を祀ったとされます。後の和銅3(710)年に社殿を造営したのが始まりです。 龍勢祭 毎年10月の第二日曜日に実施される、椋神社の例大祭で行われます。ロケットについては、代々それぞれの技術が伝承された28の流派があります。 なお、打ち上げられたロケットとその煙がまるで龍の勢いであったことから、龍勢と呼ばれるようになりました。 吉田の龍勢祭に似たものは、日本では、静岡県朝比奈大龍勢、草薙龍勢、滋賀県米原の龍勢があります。海外では中国やタイのブーンバンファイでもやっているようです。 秩父事件 秩父事件は、1884(明治17)年11月1日夕刻、ここ椋(むく)神社に3,000人の農民などで構成される困民党が集まり武装蜂起したことから始まります。 背景 秩父では江戸中期から養蚕が盛んでした。1859(安政6)年から貿易が始まると、生糸は最大の輸出品となり高値で取引されました。 明治になってからも、松方デフレの影響がではじめる明治15年までは好況が続きました。 そんな中、養蚕のさらなる近代化、質向上のため借金をして投資する人もいました。投資をしなくても、日常の食料品や生活費を借金で賄い、生糸が売れたらそれを返すという人もいました。 一方、娯楽もいろいろなものが入るようになりました。それとともに自由民権の思想も入ってきました。当時の村会の記録に「自由」や「権利」という言葉が書かれていたそうです。 1881(明治14)年に書かれた五日市憲法草案が発見された東京の五日市深沢家の土蔵からは、当時の欧米書の翻訳本がたくさん出てきたそうです。 1881(明治14)年板垣退助らによって自由党が結成されています。翌年には早くも秩父にも組織ができています。 松方デフレは、大蔵卿松方正義が西南戦争で乱発された不換紙幣によるインフレーションを解消すべく、緊縮財政と酒やたばこなどの間接税増税をしたことです。 このため米価などの農産物価格は下落し、生糸はヨーロッパ不況によるフランスのリヨン生糸取引所の暴落とも重なり大暴落しました。 このため農家、特に養蚕のウエイトが高い秩父の農民は学校費・町村費の負担増も加わって非常に厳しい状況となりました。このため、借金の返済不能に陥り破産する人もいました。 さらに窮状につけこんだ高利貸や銀行によって悲惨な状態となりました。 経過 1884(明治17)年養蚕が終わった後、300人の自由党員が中心になって各地で山林集会を開き、困民党を組織していきました。 困民党は、借金の10年据え置き、40年年賦、学校の一時休校、諸税の減免をかかげ、役所には嘆願と悪質な高利貸の指導を、高利貸には直接交渉を何度もしました。 しかし、官は受け付けず。高利貸は拒否したうえ一層過酷な取り立てをしました。 そしてついに、合法的手段ではらちがあかず、激論の末武装蜂起ということになり、準備に入りました。 武装蜂起の11月1日当日次のような任務分担と軍律がきめられました。 総理 田代栄助 大宮郷 副総理 加藤織平 石間村 会計長 井上伝蔵 下吉田村 宮川津盛 上日野沢村 柴岡熊吉 大宮郷 参謀長 菊池貫平 長野県北相木村 甲大隊長 新井周三郎 男衾郡西野入村 副長 大野苗吉 風布村 乙大隊長 飯塚森蔵 下吉田村 副長 落合寅市 下吉田村 以下略 軍律 第一条 私に金円を掠奪する者は斬 第二条 女色を侵す者は斬 第三条 酒宴をなしたる者は斬 第四条 私の遺恨を以て放火その他乱暴をなしたる者は斬 第五条 指揮官の命令に違反し私に事をなしたる者は斬 この日深夜困民党軍は小鹿野に、翌日には郡都大宮郷(秩父)を占拠し郡役所を革命本部としました。この時点で人数は8,000から10,000人に達しました。 政府側は警察・憲兵隊・鎮台兵を動員し鎮圧にかかりました。 火縄銃と刀と竹やりの困民軍は、近代兵器の警察・憲兵・鎮台兵に追われ一部は群馬県山中から長野県南佐久間まで転戦しましたが11月9日に鎮台兵に敗れ壊滅しました。 戦死者は困民党軍25名以上、警官3名、その他1名などです。 事件後の裁判では死刑7名など4,000名が処罰されました。 事件は長い間「秩父暴動」と呼ばれ、恥ずべき歴史とされてきましたが、近年は見直されています。 映画「草の乱」は欠席裁判で死刑になりながら、北海道に逃れ天寿を全うした困民党会計長の井上伝蔵を主人公にしたものです。 龍勢会館 椋神社から龍勢会館までは1キロほどしか離れていません。すぐ着きました。 龍勢会館は、龍勢の紹介をする龍勢会館、秩父事件資料館となっている復元された井上伝蔵邸、農産物直売所とレストランの龍勢茶屋、映画「草の乱」のセットなどからなっています。 龍勢会館 椋神社の龍勢は、かなり古い歴史をもつ手作りのロケット花火で、全国的にも珍しいお祭です。この龍勢をいつでも堪能できるようにしたのが龍勢会館です。 龍勢会館では龍勢の作り方から打ち上げまでの実物資料を見ることはもちろん、大型の画面を通じて生のような龍勢祭りの様子を楽しむことができます。 井上伝蔵邸 平成16年、秩父事件発生120年を記念して映画「草の乱」が製作されました。そして、これを機会に井上伝蔵邸が復元されました。 映画は、当時の吉田町を中心に撮影が行われ。復元された井上伝蔵邸は終了後「秩父事件資料館」として、伝蔵関係資料のほか撮影時の衣装・小道具等が展示公開されています。 また、その隣接地にはオープンセットの一部が移築保存されています。 帰路 龍勢茶屋での買い物も済ませ、これからどうしようと訊いたら、明日の予定があるので早く帰りたいとのことでした。 とりあえず南下して、県道283号にのり小鹿神社のやや秩父寄りの泉田交差点で右折して国道299号にでました。 後はきた道の逆に進み、秩父、芦ヶ久保、山伏峠を通り帰宅しました。 |
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秩父事件についてはno.6 6月22日の内容を再録しました。 今回の走行距離132.21キロ 燃費16.5キロ 出発9:45 帰宅 3:35 ![]() |
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